典座教訓
てんぞきょうくん
觀音導利興聖寶林禪寺比丘道元撰
佛家に本より六知事有り、共に佛子たり、同じく佛事を作す。
中就なかんずく、典座の一職は、是れ衆僧の辨食を掌つかさどる。
『禪苑清規ぜんねんしんぎ』に云く、「衆僧を供養す、故に典座有り」と。
古いにしえより道心の師僧、發心の高士、充みて來るの職なり。
蓋し、一色いっしきの辨道に猶よる歟か。
若し道心なき者は徒らに辛苦を勞して、畢竟、益無し。
『禪苑清規』に云く、「須く道心を運めぐらし時に随つて改變し、大衆をして受用安樂ならしむべし」と。
昔日そのかみ潙山いさん、洞山とうざん等、之れを勤め、其の餘の諸大祖師も、曾て經へ來れり。
所以に世俗の食厨子じきずし、及び饌夫せんぷ等に同じからざる者か。
山僧、在宋の時、暇日、前資勤舊ぜんしごんきゅう等に咨問するに、彼等聊いささか見聞を擧し、以て山僧が爲に説く。
此の説似は、古來有道の佛祖の遺す所の骨隨なり。
大抵、須く『禪苑清規』を熟見すべし。
然る後、須く勤舊子細の説を聞くべし。
所謂、當職は一日夜を經て、先ず齋時罷さいじはに、都寺つうす、監寺かんす等の邊に就て、翌日の齋粥の物料を打す。所謂、米菜等なり。
打得し了おわりて、之を護惜すること眼睛がんぜいの如くせよ。
保寧ほねいの勇ゆう禪師曰く、「眼睛なる常住物を護惜せよ」と。
之を敬重すること御饌草料ぎょせんそうりょうの如く、生物熟物、倶に此の意を存せよ。
次に諸知事、庫堂に在て商量すは、明日甚なんの味を喫し、甚の菜を喫し、甚の粥等を設くと。
『禪苑清規』に云く、「物料並に齋粥の味敷を打す如きは、竝に預先まづ庫司くす知事と商量せよ」と。
所謂、知事には都寺、監寺、副寺ふうす、維那いのう、典座、直歳しっすいあり。
味敷を議定し了りて、方丈衆寮しゅりょう等に嚴浄牌ごんじょうはいを書呈せよ。
然る後、明朝の粥を設辨す。
米を淘えり菜等を調へ、自らの手にて親しく見、精勤誠心にして作せ。
一念も踈怠緩慢にし、一事を管看かんかんし、一事をも管看すべからず。
功徳海中に一滴も也また譲ること莫く、善根ぜんごん山上、一塵も亦た積む可きか。
『禪苑清規』に云く、「六味精せず、三徳給せずば、典座の衆に奉する所以ゆえんに非ず」と。
先づ米を看て便ち砂を看る。先づ砂を看て便ち米を看る。
審細に看來り看去りて、放心すべからず。
自然に三徳圓滿し、六味倶に備る。
雪峰せっぽう、洞山に在りて典座と作なる。
一日、米を淘る次で、洞山問ふ。
「砂を淘り去りて米か、米を淘り去りて砂か」。
峰云く、「砂米一時に去る」。
洞山云く、「大衆、箇の什麼をか喫す」。
峰、盆を覆却ふくきゃくす。
山云く、「子、佗後、別に人に見まみえ去ること在あらん」と。
上古有道の高士、手して自ら精し至り、之れを修すこと此の如し。
後來の晩進、之れを怠慢すべきや。
先來云ふ、「典座は絆ばんを以て道心となす」と。
米砂誤りて淘り去ること有るが如きは、自ら手して檢點す。
『清規』に云く、「造食の時は須く親く自ら照顧し、自然に精潔となる」と。
其の淘米とうべいの白水を取り、亦た虚く棄ず。
古來、漉白水嚢ろうはくすいのうを置く。
粥米と水とを辨じ、鍋に納れ了り心を留めて護持し、老鼠ろうそ等をして觸誤し、竝に諸色の閑人の見觸せしむること莫れ。
粥時の菜を調へ、次に今日齋時の所用の飯羮はんこう等を打併たへいす。
盤桶ばんつう、並に什物調度し、精誠浄潔に洗灌し、彼此ひし、高處に安ずべきは高處に安じ、低處に安ずべきは低處に安ず。
高處は高平、低處は低平。
梜杓きょうしゃく等の類、一切の物色、一等に打併し、眞心に物を鑑し、輕手に取放し、然る後に、明日の齋料を理會りえす。
先づ米裏に蟲有るを擇び、緑豆、糠塵、砂石等、精誠に擇び了る。
米を擇び菜等を擇ぶ時、行者あんじゃ諷經し竈公そうこうに囘向す。
次に菜羮さいこうを擇び物料を調辨す。
庫司くすに隨て打得す所の物料は、多少を論ぜず、麤細そさいを管せず、唯だ是れ精誠に辨備するのみ。
切に忌む、色を作し口に料物の多少を説くことを。
竟日通夜ひねもすよもすがら、物來りて心に在り、心歸して物に在り、一等に佗と精勤辨道す。
三更さんこう以前に明曉の事を管し、三更以來に做粥きしゅくの事を管す。
當日、粥了りて、鍋を洗ひ飯を蒸し羮こうを調ふ。
齋米を浸すが如きは、典座、水架の邊を離るること莫れ。
明眼に親しく見て、一粒を費さず、如法に洮汰し、鍋に納れ火を燒き飯を蒸す。
古いにしえに云く、「飯を蒸す鍋頭かとうを自頭じとうとなし、米を淘りて水は是れ身命と知る」と。
蒸し了りたる飯は便ち飯籮裏はんらりに收め、乃すなわち飯桶に收め、擡槃だいばんの上に安ず。
菜羮等を調辨すは、應に飯を蒸す時節に當るべし。
典座、親しく飯羮の調辨の處在を見、或は行者を使ひ、或は奴子ぬすを使ひ、或は火客こかを使ひ、什物じゅうもつを調へしむ。
近來の大寺院には飯頭、羮頭有り。
然れども是れ典座の使ふ所なり。
古き時は飯頭、羮頭等無く、典座が一管す。
凡そ物色を調辨するに、凡眼を以て觀る莫れ、凡情を以て念おもふ莫れ。
一莖艸いっきょうそうを拈じて、寶王刹ほうおうせつを建て、一微塵に入て大法輪を轉ず。
所謂、縱ひ莆菜羮ふさいこうを作る時も、嫌厭輕忽けんえんきょうこつの心を生ずべからず。
縱ひ頭乳羮づにゅうこうを作る時も喜躍歡悦きやくかんえつの心を生ずべからず。
既に耽著たんじゃく無し、何ぞ惡意おい有らん。
然あれば則ち、麤そに向ふと雖も全く怠慢無く、細に逢ふと雖も彌よ精進有るべし。
切に物を遂ふて、心を變ずること莫れ。
人に順ひて詞ことばを改むるは、是れ道人に非ず。
志を勵まして至心ならば、庶幾こひねがわくは浄潔なること古人に勝り、審細なること先老を超えん。
其の運心道用の體ていは、古先、縱ひ三錢を得て莆菜羮を作るも、今吾れ同じく三錢を得て頭乳羮づにゅうこうを作らん。此の事、爲し難し。
所以は何ん。今古殊異にして天地懸隔す。豈に肩を齊しくし得んや。
然あれども審細に辨肯する時、古先を下視あしする理、定んで之れ有り。
此の理、必然ならば猶ほ未だ明了ならず、卒に思議紛飛して、其の野馬の如く、情念奔馳ほんちして林猿りんえんに同じき由なり。
若し彼の猿馬えんばをして、一旦、退歩返照せしめば、自然に打成一片ならん。
是れ乃ち物の所轉を被り、能く其の物を轉ずる手段なり。
此の如く調和し淨潔にして、一眼兩眼を失すること勿れ。
一莖菜いっきょうそうを拈じて丈六身じょうろくしんと作し、。丈六身を請して一莖菜と作す。
神通及び變化、佛事及び利生する者なり。
已に調へ、調へ了りて已に辨じ、辨じ得て那邊を看し這邊に安ず。
鼓を鳴らし、鐘を鳴らし、衆に隨ひ參に隨ひ、朝暮請參ちょうぼしんざんし、一も虧闕きけつ無し。
這裏しゃりに却來し、直に須く目を閉じ、堂裏に幾員の單位、前資、勤舊、獨寮等幾ばくの僧、延壽、安老、寮暇等の僧、幾箇の人が有り、旦過に幾枚の雲水、菴裏に多少の皮袋ひたいぞと諦觀すべし。
此の如く參じ來り參じ去りて、如し纎毫せんごうの疑猜ぎさい有らば、他の堂司、及び諸寮の頭首、寮主、寮首座等に問ふべし。
疑を銷し來り、便ち商量す。
一粒米いちりゅうべいを喫すに、一粒米を添え、一粒米を分り得れば、却て兩箇の半粒米を得る。
三分四分、一半兩半、他の兩箇の半粒米を添ふ。便ち一箇の一粒米と成る。
又、九分を添え、剩り幾分かと見る。今、九分を收め、佗の幾分かを見る。
一粒の盧陵米ろりゅうべいを喫得し、便ち潙山僧いさんそうを見る。
一粒の盧陵米を添得し、又、水牯牛すこぎゅう見る。
水牯牛、潙山僧を喫し、潙山僧、水牯牛を牧す。
吾れ量得すや、也また未だしや。儞、算得すや也た未だしや。
檢し來り點じ來りて、分明に分曉し、機に臨んで便ち説く。
人に對して即ち道ん、且つ恁なんの功夫、一如二如、二日三日、未だ暫く忘るべかざるなり。
施主、院に入り財を捨し齋を設く、亦た當に諸知事、一等に商量すべし。
是れ叢林そうりんの舊例なり。囘物俵散えもつひょうさんは同じく共に商量し、權を侵し職を亂すことを得ざれ。
齋粥、如法に辨じ了らば、案上に安置し、典座、袈裟を搭け、坐具を展べ、先づ僧堂を望み、香を焚き九拜し、拜し了りて乃ち食を發す。
一日夜を經て齋粥を調辨し、虚しく光陰を度ること無かれ。
實有らば排備し、擧動施爲、自ら聖胎長養の業と成らん。
退歩飜身たいほほんしんせば、便ち是れ大衆安樂の道なり。
而るに今、我が日本國、佛法の名字聞き來ること己に久し。
然れども僧食そうじき如法作の言、先人記せず、先徳教へず。
況んや僧食九拜の禮、未だ夢にも見ること在らず。
國人謂く、「僧食の事、僧家作食法の事、宛かも禽獸のごとし」と。
食法、實に憐を生ず可し、實に悲を生ず可し、如何んぞや。
山僧、天童に在りし時、本府ほんぷの用よう典座、職に充みてり。
予、因みに齋罷、東廊を過ぎ、超然齋ちょうねんさいの路に赴く次で、典座、佛殿の前に在りて苔たい・こけを晒さらす。
手に竹杖を携へ、頭に片笠無し。
天日熱し、地甎ちせん熱す。
汗流し徘徊し、力を勵めて苔を晒す。
稍や苦辛を見る。
背骨は弓の如く、龐眉ほうびは鶴に似たり。
山僧、近づき前すすみ、便ち典座の法壽を問ふ。
座云く、「六十八歳」。
山僧云く、「如何が行者人工を使はざる」。
座云く、「佗は是れ吾にあらず」。
山僧云く、「老人家、如法なり。天日且つ恁く熱す。如何が恁く地せん」。
座云く、「更に何れの時をか待たん」。
山僧更ち休す。
廊を歩す脚下、潛かに此の職の機要たることを覺ゆ。
又、嘉定十六年癸未五月中、慶元けいげんの舶裏に在り。
倭使頭わしずと説話の次で、一老僧來る有り、年は六十許歳ばかり。
一直に便ち舶裏に到り、和客に問ひ倭椹わじんを討ね買ふ。
山僧、佗を請し茶を喫す。
佗の所在を問へば、便ち是れ阿育王山あいくおうざんの典座なり。
佗云く、「吾は是れ西蜀せいしょくの人なり。郷を離れ四十年を得、今年、是れ六十一歳。向來、粗ぼ諸方の叢林を歴し、先年、孤雲裏に權住す。育王を討ね得て掛搭かたし、胡亂うろんに過ぐ。然るに去年、解夏かいげ了りて、本寺の典座に充らる。明日五日、一供渾すべて好喫する無し、麺汁を做つくらんと要するに未だ椹の在るに有らず。仍て特特として來り、椹を討ねて買ひ、十方の雲衲に供養せんとす」。
山僧、佗に問ふ、。「幾時か彼を離る」。
座云く、「齋了なり」。
山僧云く、「育王は這裏を去りて多少の路か有る」。
座云く、「三十四五里」。
山僧云く、「幾くの時にか寺裏に廻へり去るや」。
座云く、「如今、椹を買ひ了らば便ち行かん」。
山僧云く、「今日、期せず相ひ會ふ、且らく舶裏に在り説話せん。豈に好き結縁に非らざんや、道元、典座禪師を供養せん」。
座云く、「不可なり、明日の供養、吾れ若し管せずば便ち不是に了ぜん」。
山僧云く、「寺裏に同事の者、齋粥を理會す者無きや。典座一位、不在なりとも什麼の欠闕か有らん」。
座云く、「吾れ老年に此の職を掌る。乃ち耄及ぼうぎゅうの辨道なり。何を以てか佗に讓る可きや。又來る時、未だ一夜宿の暇を請はず」。
山僧、又、典座に問ふ。「座、尊年、何ぞ坐禪辨道し古人の話頭を看せず、煩らしく典座に充り、只管に作務すや。甚の好事か有らん」。
座、大笑し云く、「外国の好人、未だ辨道を了得せず、未だ文字を知得し在らざる」。
山僧、佗の恁地かくのごとくの話を聞き、忽然として慚を發し驚心す。
便ち佗に問ふ、「如何なるか是れ文字、如何なるか是れ辨道」。
座云く、「若し問處を蹉過さかせざれば、豈に其の人に非らざんや」。
山僧、當時、會せず。
座云く、「若し未だ了得せざれば、佗時後日、育王山に到りて、一番、文字の道理を商量し去ること在らん」。
恁地かくのごとくに話り了へて、便ち起たちて座云く、「日晏くれれ了なん忙ぎ去らん」と。便ち歸り去るなり。
同年七月、山僧、天童に掛錫す。
時に彼の典座、來て相見し得て云く、「解夏了りて典座を退し、歸郷し去る。適たまたま兄弟ひんでいが老子箇裏に在りと説くを聞く。如何が來て相見せざらんか」。
山僧、喜踊し感激し、佗を接して説話の次で、前日の舶裏に在りて文字辨道の因縁を説き出だす。
典座云く、「文字を學ぶ者は文字の故を知らんが爲なり。辨道を務むる者は辨道の故を肯はんことを要す」。
山僧、佗に問ふ、「如何が是れ文字」。
座云く、「一二三四五」。
又問ふ、「如何が是れ辨道」。
座云く、「徧界、曾て藏さず」。
其の餘の説話、多般有りと雖も、今、録さざる所なり。
山僧、聊か文字を知り、辨道を了るは乃ち彼の典座の大恩なり。
向來一段の事、先師全明全公に説似す。公、甚だ隨喜するのみ。
山僧、後に、雪竇せっちょうの頌有り、僧に示して云く、「一字七字三五字、萬像窮め來り據こを爲さず、夜深け月白く滄溟の下、驪珠を捜し得て多許そこばくか有る」を看る。
前年、彼の典座の云ふ所と、今日雪竇の示す所と、自ら相ひ符合す。
彌よ彼の典座、是れ眞の道人なるを知る。
然れば則ち、從來、看る所の文字、是れ一二三四五なり、今日、看る所の文字、亦た六七八九十なり。
後來の兄弟、這頭より那頭を看し、那頭より這頭を看る。
恁の功夫を作せば、便ち文字上、一味禪を了得し去らん。
若し是の如くならずんば、諸方五味禪の毒を被りて、僧食を排辨し、未だ好手を得ること能はず。
誠に夫れ當職先聞現證、眼に在り耳に在り、文字有り、道理有り。正的と謂ふべきか。
縱ひ粥飯頭の名を忝かたじけなうせば、心術も亦、之に同ずべきなり。
『禪苑清規』に云く、「二時の粥飯、理すること合まさに精豐なるべし。四事に供し、須く闕少けっしょうせしむること無かれ。世尊二千年(別本・二十年)の遺恩、兒孫を蓋覆がいふし、白毫びゃくごう光一分の功徳、受用不盡」と。
然あれば則ち「但だ衆に奉するを知りて、貧を憂ふべからず。若し有限の心無くんば、自ら無窮の福有らん」と。
蓋し是れ衆に供する住持の心術なり。
供養の物色を調辨するの術、物の細を論ぜず、物の麤(そ)を論ぜず。
深く眞實の心、敬重の心を生ずるを詮要と爲す。
見ずや、漿水しょうすいの一鉢、也た十號を供して、自ら老婆生前の妙功徳を得、菴羅の半果、也た一寺を捨す。
能く育王最後の大善根を萌きざし、記莂きべつを授かり大果を感ぜり。
佛の縁と雖も、多虚たこは少實に如しかず、是れ人の行ぎょうなり。
所謂、醍醐味を調ふるも、未だ必ずしも上じょうとなさず。
莆菜羮を調ふるも、未だ必ずしも下げとなさず。
莆菜を捧げ、莆菜を擇ぶ時、眞心、誠心、浄潔心にして、醍醐味に準ずべし。
所以は何ん。佛法清浄の大海衆に朝宗ちょうそうの時、醍醐味を見ず、莆菜味を存せず、唯だ一大海の味のみ。
況んや復た道芽を長じ、聖胎を養ふ事は醍醐と莆菜と一如にして二如無きをや。
「比丘の口、竈の如し」の先言あり、知らずんばあるべからず。
想ふべし、莆菜能く聖胎を養ひ、能く道芽を長ずることを。
賤せんと爲すべからず、輕けいと爲すべからず、人天の導師、莆菜の化益けやくを爲すべきものなり。
又た衆僧の得失を見るべからず、衆僧の老少を顧るべからず。
自、猶ほ自の落處を知らず、佗、爭いかでか佗の落處を識ることを得んや。
自の非を以て佗の非と爲す、豈に誤まらざんや。
耆年ぎねん、晩進、其の形、異なりと雖も、有智うちも愚朦ぐもうも、僧寶是れ同じ。
亦た昨の非は今は是、聖凡誰か知らん。
『禪苑清規』に云く、「僧は凡聖と無く、十方に通會す」と。
若し一切、是非有るも、之を管すること莫れ。
志氣那ぞ直に無上菩提に趣く道業に非ざらんや。
如し向來の一歩を錯らば、便ち對面して蹉過せん。
古人の骨髄、全く恁のごときの功夫を作す處に在り。
後代、當職を掌るの兄弟も、亦た恁のごときの功夫を作して始めて得ん。
百丈高祖の規縄きじょう、豈に虚然ならんや。
山僧、歸國より以降、建仁に錫しゃくを駐とどむること一兩三年。
彼の寺、愗なまじひに此の職を置くも、唯だ名字有りて、全く人の實無し。
未だ是れ佛事を識らず。豈に敢て道を辨肯べんこうせんや。
眞に憐憫れんびんすべし。
其の人に遇はずして虚しく光陰を度り、浪みだりに道業を破らん。
曾て彼の寺、此の職の僧を看るに、二時の齋粥に都て事を管せず。
一の無頭腦、無人情の奴子を帯して、一切大小の事、總て佗に説向す。
正を作し得るも、不正を作し得るも、未だ曾て去りて看せず。
隣家に婦女有るが如くに相ひ似たり。
若し去りて見ることを得ば、佗、乃ち恥とし、乃ち瑕きづとす。
一局を結構して、或は偃臥えんがし、或は談笑し、或は看經し、或は念誦す。
日久しく月深かけれど鍋邊に到らず。
況や什物を買索かひもとめ、味數を諦觀せん。
豈に其の事を存せんや。何に況んや兩節の九拜、未だ夢にも見ざる在り。
時至りて童行を教ふるに、也た未だ曾て知らず。憐むべし悲むべし。
無道心の人、未だ曾て有道徳の輩に遇見せず。
寶山に入ると雖も、空手にして歸す。
寶海に到ると雖も、空身にして還る。
應に知るべし、佗、未だ發心せずと雖も、若し一の本分人に見まみえば、則ち其の道を行得せん。
未だ一の本分人に見えずと雖も、若し是れ深く發心せば、則ち其の道を行膺ぎょうようせん。
既に兩闕りょうけつを以て、何を以てか一益あらん。
大宋國の諸山諸寺に知事、頭首の職に居るの族やからを見るが如きは、一年の精勤を爲すと雖も、各三般の住持を存し、時とともに之を營み、縁を競ひ之を勵ます。
已に他を利するが如く、兼て自利を豐かにし、叢席を一興し、高格を一新す。
肩を齊しうし、頭を竸ひ踵くびすを繼ぎ、蹤を重んず。
是に於て應に詳つまびらかにすべし、自を見ること佗の如くなる癡人有り。
佗を顧ること自の如くなる君子有り。
古人云く、「三分の光陰二早く過ぐ、靈臺れいだい一點も揩磨かいませず。生を貪り日を逐うて區區くくとして去る。喚べども頭を囘さず爭奈何いかんせん」と。
須く知るべし、未だ知識に見えず、人情に奪はるることを。
憐れむべし、愚子、長者所傳の家財を運び出し、徒らに佗人面前に塵糞じんふんを作す。
今、乃ち然あるべからずや。
嘗て當職前來の有道を觀るに、其の掌、其の徳、自ら符かなふ。
大潙の悟道は典座の時なり。洞山の麻三斤は亦た典座の時なり。
若し事を貴ぶべき者は、悟道の事を貴ぶべし。
若し時を貴ぶべき者は、悟道の時を貴ぶべし。
事を慕ひ道を耽たのしむの跡、砂を握りて寶と爲す、猶ほ其の驗しるし有り。
形を模して禮を作す、屡しばしば其の感を見る。
何に況んや其の職、是れ同じ、其の稱、是れ一ならん。
其の情、其の業、若し傳ふべき者ならば、其の美、其の道、豈に來らざんや。
凡そ諸の知事、頭首、及び當職、作事作務の時節、喜心、老心、大心を保持すべきものなり。
所謂、喜心とは、喜悦の心なり。
想ふべし我れ若し天上に生ぜば、樂みに著して間ひま無し。
發心すべからず。修行未だ便ならざるに。
何に況んや三寶供養の食を作るべけんや。
萬法の中に最尊に貴なるは三寶なり、最上の勝なるは三寶なり。
天帝も喩ふるに非らず、輪王も比せず。
『清規』に云く、「世間の尊貴、物外の優間、清浄無爲なるは衆僧を最と爲す」と。
今、吾れ幸に人間に生れ、此の三寶受用の食を作ること、豈に大因縁に非ざらんや。
尤も以て悦喜すべき者なり。
又、想ふべし、我れ若し地獄、餓鬼、畜生、修羅等の趣に生れ、又、自餘の八難處に生れば、僧力の覆身を求むこと有りと雖も、手自ら供養三寶の淨食を作るべからず。
其の苦器に依りて苦を受け、身心を縛すなり。
今生、既に之を作る。悦ぶべき生なり、悦ぶべき身なり。
曠大劫の良縁なり。朽くつべからざる功徳なり。
願くは萬生千生を以て、一日一時に攝し、之を辨ずべく、之を作るべし。
能く千萬生の身を良縁に結ばしめんが爲なり。
此の如き觀達かんたつの心、乃ち喜心なり。
誠に夫れ、縱ひ轉輪聖王れんりんじょうおうの身を作すとも、三寶を供養する食を作るに非ざる者は、終に其の益無し。
唯だ是れ水沫泡燄すいまつほうえんの質なり。
所謂、老心は、父母の心なり。
譬へば父母の一子を念おもふがごとく、三寶を存念すること一子を念ふが如し。
貧者、窮者、強あながちに一子を愛育す。
其の志、如何。外人げにん識らず。
父と作り母と作りて方に之れを識るなり。
自身の貧富を顧ず、偏に吾が子の長大なることを念ず。
自らの寒きを顧ず、自らの熱きを顧ず、子を蔭ひ、子を覆ふ。
以て親念切切の至りと爲す。
其の心を發す人、能く之を識り。其の心に慣ふ人、方に之を覺さとる者なり。
然らば乃ち水を看、穀を看るに、皆、子を養ふの慈懇を存すべき者か。
大師釋尊、猶ほ二千年(別本・二十年)の佛壽を分ちて、末世の吾等を蔭ふ。
其の意、如何。唯だ父母の心を垂れるのみ。
如來、全く果を求むべからず、亦た富を求むべからず。
所謂、大心とは、其の心を大山にし、其の心を大海にす。
偏すること無く、黨とうすること無き心なり。
兩を提て、輕ろしと爲ざず、鈞きんを扛あげて、重しとすべからず。
春聲に引かれて、春澤に游ばず。
秋色を見ると雖も、更に秋心無し。
四運を一景に竸ひ、銖兩しゅりょうを一目いちもくに視る。
是の一節に於て、大の字を書すべし。大の字を知るべし。大の字を學すべし。
夾山かっさんの典座、若し大字を學せずば、不覺の一笑、大原だいげんを度すこと莫からん。
大潙禅師、大字を書せずんば、一莖柴を取りて、三吹すべからず。
洞山和尚、大字を知らずんば、三斤麻を拈じ、一僧に示すこと莫らん。
應に知るべし、向來の大善知識は倶に是れ百艸頭上、大字を學し來る。
今、乃ち自在に大聲を作し、大義を説き、大事を了し、大人に接す。
者箇しゃこ一段の大事因縁を成就するものなり。
住持、知事、頭首、雲衲、阿誰たれか此の三種の心を忘却するものならんや。
于時嘉禎三丁酉春 記示後來學道之君子(云)。
觀音導利興聖寶林禪寺住持傳法沙門道元記。
典座教訓について
『典座教訓』は嘉禎3年(1237)春、道元禅師が三十八歳の時、興聖寶林寺で、特に典座の役職について教え示されたものである。
『典座教訓』の最後には「時に嘉禎三年丁酉春、記して後來學道の君子に示す。觀音導利興聖寶林禪寺住持傳法沙門、道元記す。」と書かれている。
この『典座教訓』は古来の各写本に依っては所々に違いがある。
又、全文が漢文であり、その師家によって微妙な読み方の違いがある。
「典座教訓。佛家從本有六知事、共爲佛子、同作佛事。就中典座一職、是掌衆僧之辨食。禪苑清規(箴規)云、供養衆僧、故有典座、從古道心之師僧、發心之高士、充來之職也。蓋猶一色之辨道(歟)。若無道心者、徒勞辛苦、畢竟無益也。禪苑清規(箴規)云、須運道心、随時改變、令大衆受用安樂。・・・・・・・」の如く。
その為、『典座教訓』は現在まで様々な本が出版されているが、どの写本に基づき、どの様な読み方をするかによって、自ずから差異を生じている。
今では『永平大清規』の中に組み込まれていて、その第一番目にこの『典座教訓』がある。