雕寶慶記序 (寶慶記を雕す序)
積年の闇室、孤燈を点ずれば、則ち朗かに遍界の疑關、
寸棙を撥して、忽ち闢く。
黄面の月氏に利見し、碧眼の赤縣に來蘓する所以なり。
熊耳隻履の後、月七百、人澆く法衰ふ。
爾の時に當て、天童浄祖有って出現す。
光前絶後、瑞、烏跋に媲ふ。
我が承陽遠く、其の堂に升る。
實に磁鐵の眞契なり。
大法を面授して、火と火との如し。
且つ親聞の繾綣手録して、以て兒孫に遺す。
之に簽して寶慶記と云ふ。
乃ち彼時の暦號を采れる。
一一の疑問、條條の開拓、闇を十方に朗にして、
疑を千歳に闢かずと云ふこと莫し。
余、十有六歳、親教師前永平遼雲峰和尚、
手書する所の本を以て、之を賜ひ、
且つ告て謂く、此は是れ廣福大智禅師の手澤を謄すなり。
我れ今、汝に授く。
之を帯て永く學道の標準と爲せよと。
爾れ從り以來、行脚に嚢藏し、
住山に篋秘して、今に到て半百餘年。
侍者と雖も、亦、許して視せ令めず。
間に、他の類本を持するを看るに、
倒寫亥承脱字、一ならず。
或は時に、眉を皺む。
因て憶ふ、者箇、實に佛祖慧命の係る所なり。
秘して益無し。
冀くは、天下の雲仍と、之を共にして、
以て、滅後五百年の法乳に酬んとす。
乃ち、薦福義雲和尚の本と考讎して、以て木王に鏤む。
蓋し、物は多ければ棄て易く、少ければ則ち周からず。
是の故に、都計一萬■(弓一)を印して、板を破る。
冀ふ所は、多れば則ち棄れ易きの罪を免んことを。
伏して惟れば、承陽の傑雲英仍、之を肘後の符に充は、
則ち行暗は本より、執炬の勇を得、
臨關には必ず排闥の勢、有り。
寛延第三仲春五日
遠孫第二十九葉若州永福菴主
瑞方面山焚盥九拜謹題
印 印 印
明和本(面山本)「寶慶記」批判は頁最後のほうに記載してあります。
寶慶記(ほうきょうき)
【1】
道元、幼年より菩提心を發し、本國に在て道を諸師に訪ひ、聊か因果の所由を識る。
然も是の如くなりと雖も、未だ佛法僧の實歸を明らめず、徒に名相の懐幖に滞る。
後に千光(栄西)禪師の室に入りて、初めて臨濟の宗風を聞く。
今、全(明全)法師に随て炎宋に入る。
航海萬里、幻身を波涛に任て、遂に和尚の法席に投ずることを得たり。
蓋し是れ宿福の慶幸なり。
和尚、大慈大悲、外國遠方の小人、願う所は、時候に拘わらず、威儀を具せず、頻頻に方丈に上て、愚懐を拜問せんと欲す。
生死事大、無常迅速、時は人を待たず、聖を去て必らず悔む。
本師堂上大和尚大禅師、大慈大悲、哀愍して道元が道を問ひ、法を問ふことを聴許したまへ。伏して冀くは慈照。
小師道元百拝叩頭上覆。
和尚示て云く、元子が參問、今自り已後、昼夜の時候に拘わず、著衣衩衣、而も方丈に來て道を問ふに妨げ無し。
老僧は親父の子の無禮を恕すに一如す。大白某甲。
【2】
寶慶元年七月初二日、方丈に參ず。
道元、拜問す。
諸方今、教外別傳と稱して、祖師西來の大意を看んと。
其の意、如何。
和尚示て云く、佛祖の大道、何ぞ内外に拘わらん。
然るに教外別傳と稱ふは、唯摩謄等の所傳の外に、祖師西來親しく震旦に到りて、道を傳へ、業を授く。
故に教外別傳と云ふなり。
世界に二つの佛法有るべからず。
祖師、未だ東土に來たらざる先に、東土に行李有りて、而して未だ主有らず。
祖師既に東土に到る。
譬ば民の王を得るが如し。
爾の時に當て、國土國寶國民、皆な王に屬するなり。
【3】
道元、拜問す。
諸方古今の長老等云く、聞て聞かず、見て見ず、直下、一點の計較無き、乃ち佛祖の道なると。
是を以て、拳を堅て、拂を擧し、喝を放ち、棒を行し、學者をして一も卜度すること無ら教む。
遂に則ち、佛化の始終に同じからず、二生の感果を期すこと無し。
是の如きの等類、佛祖の道、為るべきや。
和尚示て云く、若し二生無きは實に是れ斷見外道なり。
佛佛祖祖、人の爲に教を設くる。
都の外道の言説無し。
若し、二生乃ち無んば、今生も有るべからず。
此の世、既に存す、何ぞ二生無し。
我が黨、久く是れ佛子なり。
何ぞ外道に等しからん。
又、學人に第二點無しと教るが如きは、佛祖一方の善功方便なり。
學人の爲めに、而も所得無きに非ず。
若し所得無しと爲せば、善知識に參問すべからず。
亦、諸佛も出世せず。
唯、直下に見聞して便ち了すことを要して、
更に、信及無く、更に、修證無くんば、
則ち北洲、豈に佛化を得ざらんや。
北洲、豈に見聞覺知無からんや。
【4】
道元、拜問す。
古今の善知識曰く、魚の水を飲んで、冷暖自知するが如く、
此の自知即ち覺なり。
之を以て菩提の悟りの爲とすと。
道元、難じて云く、若し自知即ち正覺なら、一切衆生皆な自知有り。
一切衆生、自知有るに依って、正覺の如來と爲るべしや。
或る人の云く、然るべし、一切衆生、無始本有の如來なりと。
又、或る人の云く、一切衆生、未だ必ずしも皆な是れ如來なるにあらずと。
所以は何ん。
若し自覺性智、即ち是れ覺なることを知る者は、即ち是れ如來なり。
未だ知らざる者は不是なりと。
是の如き等の説、是れ佛法なるべしや、否や。
和尚示て云く、
若し、一切衆生、本と是れ佛と言はば、還て自然外道に同じなり。
我我所を以て、諸佛に比す、未得を得と謂ひ、
未證を證と謂ふを免るるべからざるなり。
【5-1】
道元、拜問す。
學人、功夫辨道の時、應に須く修学の心意識、並びに行住坐臥有るべきや。
和尚示誨して云く、
祖師西來して佛法、震旦に入る。
豈に佛法の身心無からんや。
第一初心辨道功夫の時、長病すべからず、遠行すべからず、
讀誦、多かるべからず、諫諍、多かるべからず、營務、多かるべからず、
五辛を食ふべからず、肉を食ふべからず、多く乳を食すべからず、
飲酒すべからず、諸の不淨食を食ふべからず、
伎樂歌舞等を觀聽すべからず、諸の殘害を見るべからず、
諸の卑醜の事(謂く男女の婬色等)を見るべからず、
國王大臣に親近すべからず、諸の生硬物を食ふべからず、
垢膩の衣を著くべからず、屠所を歴見すべからず、
舊損せる山茶及び風病薬(天台山に在り)を喫すべからず、
諸椹を喫すこと莫れ、多く乳餅蘇蜜等を喫すこと莫れ、
名利の事を視聽すること莫れ、
扇■(扌虒)、半茶迦等の類に親厚すること莫れ、
多く梅子及び乾栗を喫すること莫れ、
多く龍眼、茘枝、橄欖等を喫すること莫れ、
多く沙糖霜糖等を喫すること莫れ、
厚き綿襖を著すこと莫れ、綿を著すこと莫れ、
兵軍食を喫すること莫れ、
往きて、喧嘩の聲、車轟の聲、猪羊の群を觀ること莫れ、
往きて、大魚、大海及び惡畫、傀儡等を觀ること莫れ。
尋常應に青山谿水を觀ずべし。
直に須く古教照心すべし。
又、了義經を見るべし。
坐禪辨道の衲僧は尋常、亦須く洗足すべし。
身心悩亂の時は、直に須く菩薩戒の序を黙誦すべし。
【5-2】
道元、拜問して云く、
菩薩戒の序とは何んぞや。
和尚示て云く、
今ま隆せし禪師の誦する所の戒の序なり。
小人卑賤の輩に親近すること莫れ。
【5-3】
道元、拜問して云く、
何に者か是れ小人なるや。
和尚示て云く、
貪欲多き人は便ち是れ小人なり。
虎子象子等並びに猪、狗、猫、狸等を飼ふこと莫れ。
今、諸山の長老等、猫兒を養ふ、眞箇不可なり。
暗き者の所爲なり。
凡そ十六の惡律儀は佛祖の制する所なり。
慎んで放逸に慣習すること勿れ。
【6】
拜問して云く、
首楞厳經、圓覺經は在家の男女、之れを讀て、以爲(をもへらく)、
西來祖道と。
道元、兩經を披閲して、文の起盡を推尋するに、
自餘の大乘諸經に同じからず。
未だ其の意を審せず。
諸經より劣るの言句有りと雖も、全く諸經より勝るの義勢無し。
頗る六師等の見に同じきことも有り。
畢竟、如何が決定せん。
和尚示て云く、
楞厳經は昔より疑ふ者有り。
謂(をもへらく)、此の經は後人、構するかと。
近代の祖師は未だ曽て經を見ず。
近代、癡暗の輩、之れを讀み、之れを愛す。
圓覺經も亦た然り、文相の起盡、頗る似たり。
【7】
拜問す。
煩惱障、異熟障、業障等の障、轉ずべきは、
佛道の道處なりや。
和尚示て云く、
龍樹等の祖師の説の如きは、須く保任すべし。
異途の説、有るべからず。
但だ、業障に至ては慇懃に修行する時、必ず轉ずべし。
【8】
拜問して云く、
因果は必ず感ずべきや。
和尚示て云く、
因果を撥無すべからず。
所以に、永嘉曰く、豁逹の空は因果を撥ふ。
莾莾蕩蕩、殃禍を招くと。
若し、撥無因果を言ふ者は佛法中に、斷善根の人なり。
豈に是れ佛祖の兒孫ならんや。
【9】
拜問す。
今日、天下の長老、長髪長爪なる者は何の所據か、
將に比丘と稱せんとすれば、頗る俗人に似たり。
將に俗人と名すれば、又、禿兒の如し。
西天東地、正法像法の間、佛祖の弟子、未だ嘗て斯の如くならず。
如何ん。
和尚示て云く、
眞箇是れ畜生なり。
佛法清淨海仲の死屍なり。
【10】
和尚、或る時、召して示て云く、
儞は是れ後生と雖も、頗る古貌有り。
直に須く深山幽谷に居して、佛祖の聖胎を長養すべし。
必ず、古徳の證處に至らん。
時に、道元、拜を起て和尚の足下に設く。
和尚唱て云く、能禮所禮性空寂、感應道交難思議と。
時に、和尚、廣く西天東地佛祖の行履を説く。
時に、道元、感涙、襟を沾す。
【11】
堂頭和尚、大光明藏に於て示て云く、
行李、衆に交るの時は、腰絛(こしおび)皆な強緊(つよくしめて)に、
之れを結ぶなり。
稍、多く時を経るも、更に力の勞無きなり。
僧家、僧堂に寓す。
功夫の最要は直に須く緩歩すべし。
近代諸方の長老、知らざる人多し。
知る者は極て少なし。
緩歩は息を以て限りと爲して、足を運ぶなり。
脚跟を觀ず、然して、躬(くぐまら)ず、仰(あをが)ず、
歩を運ぶなり。
傍觀して之を見るは、只だ一處に立つが如し。
肩胸等、動揺して振るべからず。
和尚、度度、大光明藏に歩して、東西に向て、
道元をして見せ教しめ、更に示て云く、
近日、緩歩を知る者、只だ老僧一人のみ(而己)。
你、試に諸方の長老に問て看よ。
必竟、他、未だ曽て知らざらむ。
【12】
拜問す。
佛法何を以て性と爲する。
善性と惡性と無記性との中、何れぞや。
堂頭和尚示て云く、
佛法は三性を超越するのみ(而己)。
【13-1】
拜問す。
佛佛祖祖の大道、一隅に拘るべからず。
何ぞ強ひて禪宗と稱するや。
堂頭和尚示て云く、
佛祖の大道を以て猥りに禪宗と稱すべからず。
今、禪宗と稱す、頗る是れ澆運の妄稱なり。
禿髪の小畜生の稱し來る所なり。
古徳皆な知る所なり。
往古の知る所なり。
儞、曽て石門の林間録を看るや。
道元曰く、未だ曽て録を看ず。
和尚云く、
儞、看ること一遍せば、則ち好し。
彼の録に、説き得て是れなり。
大凡そ、世尊の大法、摩訶迦葉に單傳す。
嫡嫡相承し、二十八世、東土五傳して曹溪に至り、
乃至今日、如淨は則ち佛法の總府なり。
大千沙界、更に肩を齊すべき者無し。
而今、三五本の經論を講し得て、
以て各各の宗風を扇ぐの徒(ともがら)は、乃ち佛祖の眷屬なり。
眷屬にして、而も内外親踈の高低有るなり。
【13-2】
道元、拜問して云く、
既に佛祖の眷屬爲らば、則ち彼の輩も菩提心を發して、
眞の善知識を訪ひ得る者なり。
復た何ぞ、年來の所學を抛て、忽ち佛祖の叢席に投じて、
晝夜辨道するや。
堂頭和尚示て云く、
西天東地、倶に積年の所學を抛て、進むは、
譬ば、人間の丞相に上るの期は、諫議を兼ねざるが如し。
然れども、其の子孫を教る日は、又、諫議の進退を施す者なり。
佛祖の學道も亦復、是の如し。
諫議等の清廉に因て、丞相に上ると雖も、
丞相に上る日は諫議の儀を議すること無く、
諫議に在るの日は丞相の儀を議せず。
但し、學ぶ所は皆な是れ、冶國安民の忠節なり。
丞相、諫議、是れ心を一にするなり、更に二つの心に非ず。
【14】
道元、拜覆して云く、
諸方の長老等は説く所、皆な非なり。
未だ曽て佛祖の道を知らざるや、明しや。
今、明に知る、佛祖は實に是れ世尊の嫡嗣、今日の法王なり。
三千の調度、法界の縁邊、皆な是れ佛祖の主る所にして、
更に二つの王有るべからず。
堂頭和尚示て云く、
汝が言ふ所の如し。
須く知るべし、西天に未だ兩(ふたり)の付囑法藏を聞かず。
東土も初祖より六祖に至るまで、兩の傳衣無し。
所以に大千の佛道は佛祖を以て本と爲せり。
【15-1】
堂頭和尚示て云く、
參禪は身心脱落なり。
燒香、禮拜、念佛、修懺、看經を用ひず、祇管打坐のみ。
【15-2】
拜問す。
身心脱落とは何(いか)ん。
堂頭和尚示て云く、
身心脱落とは坐禪なり。
祗管打坐の時、五欲を離れ、五蓋を除くなり。
【15-3】
拜問す。
若し五欲を離れ、五蓋を除くは、乃ち教家の所談に同じ。
即ち大小兩乘の行人たる者か。
堂頭和尚示て云く、
祖師の兒孫、強て大小兩乘の所説を嫌ふべからず。
學者、若し如來の聖教に背かば、
則ち何ぞ敢て佛祖の兒孫と稱する者ならん。
【15-4】
拜問す。
近代、癡者云く、三毒即ち佛法、五欲即ち祖道と。
若し彼れ等を除す、即ち是れ取捨なり。
還て小乘に同じと、如何。
堂頭和尚示て云く、
若し三毒五欲等を除かざる者は瓶沙王の國、
阿闍世王の國の諸の外道の輩に一如す。
佛祖の兒孫は、若し一蓋一欲を除けば則ち巨益なり。
佛祖と相見の時節なり。
【16】
拜問す。
長沙和尚、皓月供奉と、業障本來の道理を問論す。
道元、疑て云く、若し業障空ならば、
則ち餘二の異熟障、煩惱障も亦た應に空なるべきや。
獨り業障の空、不空を論ずべからずや。
況んや皓月問ふ、如何が是れ本來空と。
長沙曰く、業障是れと。
皓月云く、如何が是れ業障と。
長沙曰く、本來空是れと。
今、長沙の道ふ所、是れ爲せんや、他た、無や。
佛法、若し長沙の道ふ所の如きならば、
何ぞ諸佛の出世、祖師の西來有らんや。
堂頭和尚示て云く、
長沙の道ふ所、終に不是なり。
長沙、未だ三時業を明らめず。
【17-1】
拜問す。
古今の善知識皆な曰く、須く了義經を看るべし、
不了義經を看ること莫れと。
如何が是れ了義經。
堂頭和尚示て云く、
了義經とは世尊の本事本生等を説く經なり。
其の往古の因縁、或は名字を説きて、未だ其の姓を説かず。
住處を説くと雖も、壽命を説かざるは、則ち未だ了義ならず。
劫國壽命眷屬作業奴僕等を説き了はる。
説かざる事無きを了義と名づくる。
【17-2】
拜問す。
縦ひ一言半句と雖も、道理を説き了るを了義と名づくべし。
如何ぞ唯だ廣説を以て了義と名づけん。
縦ひ懸河の辯を説くも、若し未だ義理を明めざれば、
須く不了義經を名づくべきや。
堂頭和尚慈誨に云く、
汝が言ふこと非なり。
世尊の所説は廣略、倶に道理を盡す。
縦ひ廣説も道理を究盡し、縦ひ略説も道理を究盡す。
其の義理に於て究竟せざると云ふこと無し。
乃至、聖黙聖説、皆な是れ佛事なり。
所以に光明を佛事と爲し、飯食を佛事と爲す。
生天、下天、出家、苦行、降魔、成道、分衛、涅槃、
盡く是れ佛事なり。
見聞の衆生倶に利益を得るなり。
所以に須く知るべし、皆な了義なることを。
其の法中に於て、其の事を説き了るを了義經と名づく。
乃ち佛祖の法なり。
【17-3】
道元曰さく、
誠に和尚の慈誨の如く、之れを保任す。
乃ち佛法、祖道なり。
諸方長老の説、並に日本國古來閑人の説は道理無し。
道元、昔、知る所は不了義の上に於て了義を計す。
今日、和尚の輪下に於て、始て了義經の向上に、
更に了義經有て、分明なることを知る。
謂つべし、億億萬劫、難値難遇なりと。
【18】
拜問す。
昨夜三更、和尚普説に云く、能禮所禮性空寂、
感應道交難思議と。
深意有りと雖も、解了すべきこと難し。
淺識の及ぶ所に非ざれば、則ち疑ふ所無きに非ず。
謂く、感應道交の道理は教家も亦た談ず。
祖道に同ふすべき理有りや。
堂頭和尚慈誨に云く、
伱、須く感應道交の致(むね)とする所を知るべし。
若し、感應道交に非ざれば、諸佛も出世せず、
祖師も西來せず。
又、經教を以て怨家と爲すべからず。
若し、從來の教法を以て、非と爲す者は、
圓衣方器を用ふべきか。
未だ圓衣方器を用ひざれば、須く知るべし、
必定の感應道交と云ふことを。
【19】
拜問す。
先日、育王山の長老大光に謁する時、聊か難問の次で、
大光曰く、佛祖の道と教家の談とは水火なり。
天地懸隔す。
若し、教家の所談に同ぜば、永く祖師の家風に非ずと。
今、大光の道處は是か非か。
堂頭和尚慈誨に云く、
唯だ、大光一人、妄談有るのみに非ず。
諸方の長老も皆な亦た是の如し。
諸方の長老、豈に教家の是非を明らめんや。
那ぞ祖師の堂奥を知らんや。
只だ是れ胡亂做來の長老のみ。
【20】
拜問す。
佛法、元と文殊結集、阿難結集の兩途有り。
謂く、大乘諸經は則ち文殊結集、小乘諸経は則ち阿難結集と。
而今、何ぞ摩訶迦葉、獨り付法藏の初祖なりや。
文殊は付法藏の嫡嗣と作らざるや。
何に況んや、文殊は乃ち釋尊等諸佛の師なり。
那ぞ付法藏の初祖となるに足らざらんや。
今、如來の正法眼蔵涅槃妙心と稱す。
恐くは是れ小乘聲聞一途の法か、如何ん。
堂頭和尚慈誨に云く、
汝が言ふ所の如く、文殊は是れ諸佛の師なり。
所以に、付法藏の嫡嗣に充てざるなり。
若し是れ、弟子ならば必ず付法藏の仁に充てん。
又、文殊結集と言ふは一意なり。
常途の説には非ず。
況んや、文殊、豈に小乘の教行人理を知らざらんや。
又、阿難は唯だ是れ多聞の人なり。
所以に如來一代の説を結集するのみ。
阿難、已に大小二乘を結集せり。
迦葉は乃ち一化の上座なり、最勝の祖なり。
是の故に、法藏を付する者か。
縦ひ文殊に付すと雖も、又、此の疑ひ有るべし。
直に須く諸佛の法、斯の如しと信知すべし。
彼、此の疑ひを致すべからず。
【21】
堂頭和尚、夜話に云く、
元子、伱、椅子に在りて襪を著くるの法を知るや、也た無きや。
道元、揖して白して云く、如何ぞ知ることを得ん。
堂頭和尚慈誨に云く、
僧堂坐禪の時、椅子に在りて、襪を著く法は、
右袖を以て、足趺を掩ひて著くるなり。
聖僧に無禮なるを免るる所以なり。
【22】
堂頭和尚慈誨に云く、
功夫辨道坐禪の時、胡椒を喫すること莫れ。
胡椒は熱を發するなり。
(胡椒を胡菰とする異本有り)
【23】
堂頭和尚慈誨に云く、
風に當るの處に在りて坐禪するべからず。
【24】
堂頭和尚慈誨に云く、
坐禪より起きて、歩する時は、
須く一息半趺の法を行ずべし。
歩を移すこと、半趺の量を過ぎず、
足を移すこと、必ず一息の間なることを謂ふ。
【25】
堂頭和尚慈誨に云く、
上古の禪和子は皆な褊衫を著く。
間に直綴を著くる者有り。
近來は都て直綴を著く、乃ち澆風なり。
伱、古風を慕はんと欲せば、則ち須く褊衫を著くべし。
今日、内裏に參するの僧、必ず褊衫を著く。
傳衣の時、菩薩戒を受る時も、亦た褊衫を著く。
近來參禪の僧家、褊衫を著く、是れ律家の兄弟の服と謂ふ者は、
乃ち非なり。
古法を知らざる人なり。
【26】
堂頭和尚慈誨に云く、
如淨、住院以来、曽て斑(まだら)袈裟を著けず。
近代諸方の非儀の長老、只管に法衣を著て、
衆に随ふ實證無きが如し。
所以に、如淨未だ曽て法衣を著けず。
世尊一代、唯だ麤布の僧伽胝衣を著くるのみ。
餘の美衣を著けず。
又、強(あながち)、麤惡の衣を著くべからず。
強(しい)て麤惡の衣を著くは、又是れ外道なり。
欽婆羅子と稱すは乃ち是れなり。
然らば則ち、佛祖の兒孫、著くべき衣を著くべし。
一偏を執して、擔板なるべからず。
又、美衣を營く者は小人なり。
糞掃は古蹤なり。
知るべし。
【27】
香を炷して、拜問す。
世尊、金襴の袈裟を摩訶迦葉に授く。
是れ何の時ぞや。
堂頭和尚慈誨に云く、
伱、這箇の事を問ふ、最も好し。
箇箇の人、這箇を問はず。
所以に這箇を知らず。
乃ち善知識の苦しむ所なり。
我れ曽て、雪竇先師の處に在りて、這箇の事を參問す。
先師、大いに悦へり。
世尊最初に迦葉の來りて歸依するを見て、
即ち佛法並びに金襴の袈裟を以て、摩訶迦葉に付囑す。
第一祖と爲するなり。
摩訶迦葉、衣法を頂受して晝夜頭陀し、未だ嘗て懈怠せず、
未だ嘗て屍臥せず、常に佛衣を戴きて佛想塔想を作して、
坐禪す。
摩訶迦葉は古佛菩薩なり。
世尊、摩訶迦葉の來るを見る毎に、
便ち半座を分ちて坐せしめたり。
迦葉尊者は三十相を具す。
唯だ白毫、烏瑟を欠くのみ。
所以に、佛と並びて一坐するに、乃ち人天の樂見する所なり。
凡そ、神通智惠、一切の佛法、
佛の付囑を受けて缺減する所無し。
然れば則ち、迦葉は佛に見えるの最初に佛衣佛法を得る。
【28-1】
拜問す。
天下、四箇の寺院有り。
謂く、禪院と教院と律院と徒弟院となり。
禪院は佛祖の兒孫、嵩山の面壁を單傳して、功夫す。
正法眼蔵涅槃妙心、留まりて、這裏に在り。
誠に是れ、如來の嫡嗣にして佛法の總府なり。
餘は、乃ち支離(えだわかれ)なり。
更に、肩を齊して對論すべからざるか。
教院は天台の教觀なり。
智者禪師、獨り南岳思禪師の一子と爲りて、
一心の三止三觀を稟承す。
法華三昧施陀羅尼を得る。
謂つ可し、或は從知識、宛か是れ、或は從經巻なりと。
道元、徧く經論師の見解を觀るに、
一代の經律論を解了するは、獨り智者禪師最も勝れたり。
謂つ可し、光前絶後と。
南岳の思大和尚は法を北齊の慧文に禀く。
思大和尚發心して能く根本禪を發明す。
慧文禪師は當初(そのかみ)、背手にして經を探り、
龍樹の造る所の中觀論を得て、初て一心三觀を立す。
爾し自り以來、天下の教院の宗とする所は、
皆な是れ天台の教なり。
慧文禪師、中論に依ると雖も、
唯だ所造の論文を披て、未だ能造の龍樹に遇はず。
亦、未だ曽て龍樹の印可を蒙らず。
況や寺院の規矩、伽藍の屋舎、用否の處次、口訣、未だ備らず。
今天下の教院、或は十六觀の室を構ふ。
彼の十六觀は無量壽經に出づ。
此の經、眞偽、未だ詳ならず。
古今の學者の疑ふ所なり。
天台の一心三觀、豈に西方の一十六觀に等しからんや。
彼は帯權の教なり。
此れは顯實の説なり。
天地懸に隔たり水火、相ひ犯す。
想に是れ、大宋の學者、未だ天台の教觀を明めず。
猥に一十六觀の帯權を用ふか。
明に知る、教院は、佛在世の寺儀を傳ふべかざることを。
天台以前の諸寺は定て、摩騰竺蘭の所傳を傳ふか。
律院は南山の濫觴なり。
南山、未だ曽て西乾の大邦に入らず。
纔に東漸の零文を披閲するのみ。
設(たとひ)天人の傳説を聞くも、
豈に賢聖の親訓に如んや。
所以に、今、律院と稱して堂舎殿屋、鱗の如くに次で、
櫛の如くに連るの結構、學者行人多く之を疑ふ。
今、禪院と稱すは天下の甲刹、諸山の大寺なり。
衆を容るること千餘、屋舎、百に餘る。
前樓後閣、西廊東廡、宛も皇居の如し。
此の儀は必ず是れ佛祖の面授口説なるべし。
構ふべきを構へ、建つべきを建つ。
實に豐屋を先と爲すべからず者か。
朝參暮請も定て初祖の直指の爲たり。
文に依り、義を解す輩に比すべからず。
此の儀を以て正と爲すべきや。
道元、信ずる所は我が佛世尊、世間に出現するに、
必ず古佛の儀式に依る。
所以に、世尊一日、阿難に告ぐ、須く七佛の儀式に依るべしと。
然らは則ち、七佛の法、乃ち是れ釋迦牟尼佛の法なり。
釋迦牟尼佛の法、乃ち是れ七佛の法なり。
爾じ自り以降、二十八傳して菩提達磨尊者に至る。
尊者親しく震旦に達(いた)り、
正法を正傳して、迷情を救濟す。
亦、傳へて曹溪の二神足に至る。
青原、南岳の兒孫、今、善知識と稱して、
代(かはるがはる)傳て、化を揚ぐ。
其の所住の處、僧伽藍は佛法の正嫡、爲(たる)べし。
更に、教律等の寺院に比論すべからず。
譬ば、國に二王無きが如きか。
幸いに乞ふ。
慈照。 道元咨目百拜炷香上覆。
堂頭和尚大禪師尊前
【28-2】
堂頭和尚慈誨して云く、
元子が來書、甚だ説き得て是なり。
往古、未だ教律禪の閑名を聞かず。
今、三院と稱するは、便ち是れ末代の澆風なり。
王臣、未だ佛法を知らず。
亂に教僧、律僧、禪僧等と稱し、寺院の額を賜すの時も
亦、律寺、教寺、禪寺等の字を書す。
是の如く展轉して天下、今、五輩の僧を見る。
所以に、律僧は南山の遠孫なり。
教僧は天台の遠孫なり。
瑜伽僧は不空等の遠孫なり。
徒弟(つち)僧、師資未詳なり。
禪僧は達磨の兒孫なり。
怜れむべし、末代の邊地は是の如くの輩を見ることを。
西天に五部有りと雖も、而も一佛法なり。
東地の五僧、一佛法ならざるが如し。
國、若し明王有れば、是の如くの違亂有るべからず。
當に知るべし、今、禪院と稱する寺院の圖様儀式は、
皆な是れ祖師の親訓、正嫡の直傳なり。
所以に七佛の古儀は、唯だ是れ禪院のみ。
禪院と稱すは亂に稱すと雖も、而今、行ふ所の寶儀は
實に是れ佛祖の正傳なり。
然れば乃ち、吾が宗は本府なり。
律教は支離なり。
所以に佛祖は是れ法王なり。
國王、位に即て、天下に王たる時、
一切皆な王に屬すればなり。
【29】
堂頭和尚慈誨に云く、
佛祖の兒孫は先ず五葢を除き、後に六葢を除くなり。
五葢に無明葢を加へて、六葢と爲す。
唯だ、無明葢を除けば、即ち五葢を除くなり。
五葢、離ると雖も、而も無明未だ離れずば、
則ち未だ佛祖の修證に致らず。
道元、便ち拜謝して、叉手して白す。
前來、未だ今日の和尚の指示の如きを聞かず。
這裏箇箇の老宿耆年雲水の兄弟、都て知らず。
又、未だ曽て説かず。
今日、多幸、特に和尚の大慈大悲を蒙り、
忽ち未曾聞の處を示すことを承る。
宿殖の幸いなり。
但、五葢六葢を除く、其の秘術有りや、也た無きや。
堂頭和尚微笑して云く、
伱が向來の作功夫は甚麼をか做す。
這箇、便ち是れ六葢を離る法なり。
佛佛祖祖、階級を待たず。
直指單傳して五葢六葢を離れ、五欲等を呵するなり。
祗管打坐の作功夫、身心脱落し來る。
乃ち五葢五欲等を離るるの術なり。
此の外、都て別事無し。
渾て一箇の事無し。
豈に二に落ち、三に落つる者有らんや。
道元、感激作禮して退く。
【30】
拜問す。
和尚住院已来、曽て法衣を搭けず意旨、如何。
堂頭和尚慈誨して云く、
吾、長老と做て後、曽て法衣を著けず。
蓋し乃ち儉約なり。
佛、及び弟子、糞掃の衲衣を著しと欲し、
糞掃の鉢盂を用ひんと欲すなり。
道元、又白く、
諸方に法衣を著くは、既に儉約に非ず。
猶、少貪に滞る。
但し、宏智古佛の法衣を著くが如きは、
儉約に非ずと言ふべからず。
堂頭和尚慈誨して云く、
宏智古佛の法衣を著るは、乃ち儉約なり。
又、是れ有道なり。
伱が郷里日本國裏にては、伱、法衣を著くに妨げ無し。
我が這裡、我れ法衣を著けず。
是れ諸方の長老の衣を貪るの弊に同ふせざるが爲なり。
【31】
堂頭和尚、或る時示て云く、
羅漢、支佛の坐禪は著味せずと雖も、大悲を闕く。
故に佛祖の大悲を先きと爲して誓て、
一切衆生を度するの坐禪と同じからず。
西天外道も亦、坐禪せり。
然りと雖も、外道の坐禪は必ず三の患有り。
謂く著味、謂く邪見、謂く驕慢。
所以に永く佛祖の坐禪に異なれり。
又、聲聞中にも亦た坐禪有り。
然りと雖も、聲聞は慈悲、乃ち薄し。
諸法中に於て、利智を以て普く諸法の實相に通ぜず。
獨り、自身を善くして、諸佛種を斷ず。
所以に永く佛祖の坐禪に異なれり。
謂く、佛祖の坐禪は初發心從り、
願て、一切の諸の佛法を集む。
故に坐禪の中に於て、衆生を忘れず、衆生を捨てず、
乃至、■(虫昆)蟲までも常に慈念を給し、
誓て濟度せんと願ふ。
所有の功徳、一切に回向す。
是の故に佛祖は常に欲界に在りて、坐禪辨道す。
欲界の中に於て、唯、瞻部洲のみ最勝の因縁にて、
世世、諸の功徳を修し、心柔輭なることを得る。
道元、拜して白く、
作麼生か是れ心の柔輭なることを得ん。
堂頭和尚慈誨に云く、
佛佛祖祖の身心脱落を辨肯する、乃ち柔輭の心なり
這箇を喚びて、佛祖の心印と作す。
道元、禮拜九拜す。
【32】
堂頭和尚慈誨に云く、
法堂法座の南階の東西に、獅子形有り。
各、階に向ふ、但し面を少く南に向ふ。
其の色、白なり。
全體、白なるべし。
髪及び身、尾、皆な白なり。
近代、白獅子を作ると雖も、頭上に青髪有り。
其の獅子の髪以下、尾に至るまで、
皆な白なることを知らざるなり。
如し汝、法座上の葢を作らば、乃ち是れ蓮華葢なり。
蓮華の地を覆ふが如し、乃ち八角なり。
中に一面の鏡有り、八の幢幡有り。
幡の端、角毎に鈴を懸く。
華葉は五重、葉毎に鈴を懸く。
當山の法座の葢に一如すべし。
【33-1】
道元、咨目百拜して白く、
適に、和尚の風鈴の頌を承る。
末上の句云く、渾身、口に似て虚空に掛く。
落句に云く、一等、他の與めに般若を談すと。
謂ふ所の虚空とは、虚空色を謂ふべきや。
癡者は必ず定めて、虚空色と謂ん。
近代の學者、未だ佛法を暁せず。
青天を認て、虚空と爲す。
眞に可憐憫なり。
【33-2】
堂頭和尚慈誨に云く、
虚空と謂ふは、般若なり。
虚空色の虚空には非ず。
謂ふ所は、虚空は有礙に非ず。
無礙に非ず。
所以に單空の空に非ず。
偏眞の眞に非ず。
諸方の長老は色法、尚ぞ未だ明らめざる。
況んや能く空を暁んや。
我が箇裡、大宋佛法の衰微、言ふべからず。
【33-3】
道元、拜稟す。
和尚の風鈴の頌は最好中の最上なり。
諸方の長老、縦ひ三祇劫を經るも、亦、及ぶこと能はず。
雲水の兄弟、箇箇頂戴す。
道元、遠方の邊土より出で來て、
寡聞少見なりと雖も、今、で傳燈、廣燈、續燈、普燈、
及び諸師の別録を披くに、
未だ曽て、和尚風鈴の頌に似る有ることを得ず。
道元、何の幸いぞ。
今、見聞を得る。
觀喜踊躍、感涙、衣を濕す。
晝夜、叩頭して頂戴するなり。
然る所以は、端直にして曲調有り。
【33-4】
堂頭和尚、將に轎に乘る時、笑を含みて示て云く、
伱、道ひ得て深く抜群の氣宇有り。
我れ清凉に在て、這箇の風鈴の頌を做す。
諸方、讚歎すと雖も、未だ嘗て説き來て斯の如くならず。
我れ天童老僧、伱に眼有ることを許す。
伱、頌を做らんと要せば、須く恁地(かくのごとく)に做すべし。
【34】
堂頭和尚、夜間、道元に示て云く、
生死流轉の衆生、若し發心して佛を求むれば、
即ち是れ佛祖の子なり。
及び餘の一切衆生も亦、乃ち佛祖の子なり。
然も是の如くと雖も、父子の最初を尋ぬること莫れ。
【35】
堂頭和尚、道元に示て云く、
坐禪の時、舌、上の齶に拄す。
或ひは當門の板歯を括るも亦得たり。
若し四五十年來(このかた)坐禪を慣習して、
渾て曽て低頭瞌睡せざる者は眼目を閉じて、
坐禪するも亦、妨げ無し。
初學、未だ慣熟せざる者の如きは、
常に眼目を開きて坐すべし。
若し坐久くして、疲勞せば、右を改め、左を改むるも、
亦、妨げ無し。
此れ乃ち佛從り直下、僅かに五十世の正傳の證有り。
【36】
拜問す。
日本國並に本朝の疑ふ者云く、今禪院禪師の弘通する所の
坐禪は、頗る小乘聲聞の法と。
此の難、云何が遮せんや。
堂頭和尚慈誨に云く、
大宋、日本、疑ふ者の所難、實に未だ佛法を暁了せず。
元子、須く知るべし、
如來の正法は大小乘の表(ほか)に出過す。
然りと雖も、古佛、慈悲落草して、
遂に大乘小乘の授手方便を施す。
元子、須く知るべし、
大乘は七枚の菜餅なり。
小乘は三枚の胡餅なり。
況んや復た、佛祖本と、空拳の小兒を誑すこと無し。
黄葉も黄金も宐に随て授手す。
拈筋弄匙、空く光陰を度すこと無きなり。
【37】
堂頭和尚慈誨に云く、
吾、伱が僧堂の被位に在るを見るに、
晝夜、眠らず坐禪す、甚だ好きことを得たり。
儞、向後、必ず美妙の香氣の世間に比無き者を聞かん。
此れは乃ち吉祥なり。
或は、當面前に滴油の地に落るが如きを見る者は、
吉瑞なり。
若し種種の觸を發すも亦、乃ち吉瑞なり。
直(ただ)、須く頭燃を救ひ坐禪辨道すべし。
【38】
堂頭和尚示して云く、
世尊言く、聞思は猶を門外に處するが如し。
坐禪は直に乃ち歸家穩坐なり。
所以に坐禪すること、乃至、一須臾一刹那も功徳無量なり。
我れ三十餘年。時と功夫辨道して、
未だ曽て退を生ぜず。
今年六十五歳、老に至て彌よ堅し。
伱も還て是の如く、辨道功夫せよ。
宛も是れ、佛祖金口の記なり。
【39】
堂頭和尚慈誨に云く、
坐禪の時、壁及び屏風、禪椅等に椅(よりかかる)こと莫れ。
若し、椅すれば人をして病を生ぜ教む。
直に須く正身端坐、坐禪儀の如くすべし。
慎て違背すること莫れ。
【40】
堂頭和尚慈誨に云く、
坐禪從り起きて、經行せんと欲せば、
遶歩することを得ざれ。
直に須く直歩すべし。
若し、二三十許り歩して、廻らんと欲せば、
必ず右に廻し、左に廻すること莫れ。
歩を移さんと欲せば、先ず右足を移せ。
左足は乃ち次ぐ。
【41】
堂頭和尚慈誨に云く、
如來、坐禪從り起きて、經行したまふ跡、
今、西天竺の鄔萇那國に現在す。
淨名居士の室も猶今現在す。
祇園精舎の礎石も未だ泯せず。
是の如く、聖跡、若し人此に到て之を度量する時、
或いは脩、或いは短、或いは延、或いは促、
未だ其の定り有らず。
乃ち佛法の閙聒聒なり。
須く知るべし、今日東漸の鉢盂、袈裟、拳頭、鼻孔も
亦、乃ち人の之を測度すべからざる者なり。
道元、座を起きて速禮、頭を地に叩て歡喜落涙す。
【42】
堂頭和尚慈誨に云く、
大凡、坐禪の時、心を諸處に安ず。
皆な定處有り。
又、坐禪の時、心を左掌の上に安ずるは、
乃ち佛祖正傳の法なり。
【43】
堂頭和尚慈誨に云く、
藥山の高沙彌、比丘の具足戒を具せざれども、
他た、佛祖正傳の佛戒を受けざるには非ず。
然して、僧伽梨衣を搭け、鉢多羅器を持す。
是れ菩薩沙彌なり。
排列の時も菩薩戒の臘に依りて、
沙彌戒の臘に依らず。
此れ乃ち、正傳の禀受なり。
伱、求法の志操有り。
吾が懽喜する所なり。
洞宗の託する所の者、儞乃ち是れなり。
【44】
道元、拜問す。
參學は古今佛祖の勝躅なり。
初心發明の時は、道に有るに似たりと雖も、
衆を集めて法を聞く時は、佛法無きが如し。
又、初發心の時、所悟無きに似たりと雖も、
開法演道の時は、頗る古へに超える志氣有り。
然らば則ち、初心を用て道を得んと爲さん。
後心を用て道を得んと爲さんや。
【45】
堂頭和尚慈誨に云く、
儞が問ふ所、是れ世尊の在世に菩薩聲聞の、
世尊に問ふの問なり。
謂ふ所は、若し法、不増不減ならば云何ぞ、
菩提を得ん。
唯だ、佛のみ能く爾り、何ぞ菩薩に關せんと。
是れ疑問なり。
又、西天東地、古今正傳の指示、之れ有り。
佛佛祖祖の正傳に云く、
但だ初心のみならず、初心を離れざる、
甚と爲めか恁麼なる。
若し、但だ初心得道ならば、則ち菩薩の初發心、
便ち應に是れ佛なるべし。
是れ不可なり。
若し、初心無ければ、云何ぞ得ん。
第二第三の心、第二第三の法有ることを。
然らば則ち、後は初を以て本と爲す。
初は後を以て期と爲す。
今、現喩を以て、此の初後に喩ん。
譬ば燈の焦炷の如し。
初に非ず、初を離れず、後に非ず、後を離れず。
不退不轉、新に非ず、古に非ず、自に非ず、他に非ざる。
燈は菩薩堂に喩へ、炷は無明焰に喩へ、
恰も初心と相應との智慧の如し。
佛祖、一行三昧を修習して、相應の智慧、
無明の惑を焦(や)く。
初に非ず、後に非ず、初後を離れず。
乃ち佛祖正傳の宗旨なり。
建長五年十二月十日、越前吉祥山永平寺の方丈に在りて、
之れを書寫す。
右、先師遺書の中に於て、之れ在り。
之れを草し始む。
猶を餘殘有かのごとし。
恨むらくは、功を終へざることを。
悲涙、千萬端なり。 懐弉
正安元年巳亥十一月二十三日、越州大野の寶慶寺に於て、
初めて之れを拝見す。
開山の存日、之れを許すと雖も、今に延遅す。
今、正に是の時なり。
而今、聖王髻中の明珠を得たり。
大幸中の大幸なり。
懽喜千萬感涙、襟を濕すのみ。 義雲
尚、この面山本の「寶慶記全」の最初には「承陽祖彈虎像」があり、さらに「祖像因縁」が誌るされている。
その「祖像因縁」には
「祖像因縁」
「案に永祖、昔、宋に在て獨り江西に往く。
路に、猛虎の牙を鼓して逼るに値ふ。
爾の勢、幾ど人を食んと欲るなり。
祖、直に手杖を虎に◆(扌竄)向し、了て巖上に避て坐し、
且つ、虎、瞋て杖尾を齧て飜然として失糞して、因に巖を下に丁て去を視る。
之を視れば巖に非ずして杖頭の龍頭と化するなり。
此の事、在世、知る者有ること無し。
滅後寒巖尹公入宋して、彼の地の叢林處處、圖を画て崇稱するを視る。
自ら畫を好くす。
之を寫して帰東して以来(このかた)、
普く知て傳て虎の彈す(とらはね)拄杖と謂ふ。
今其の手澤一軸、現に江州の青龍寺に在り。
寛延午の夏、瑞方親く青龍に到て之を寫して掲焉や。
乃ち此の記は則ち在宋の消息なるを以てなり。」
とある。
更に、この「寶慶記全」の最後には次のように記されている。
(寶慶記誌)
此の記、元と若州永福の藏版なり。
惟だ恨むは、地少しく幽僻の故を以て、
或は流通に不便なり。
予、是れより先き、永福老人、京師に侍せし日、
之れを老人に請ひ、親しく此の版を承す。
爾後、或は東、或は西と、京に復留せず。
是に於て遂に版を三條高倉街島田氏の家に屬す。
而して此の事を幹せしむ。
蓋し京は天下の大都にして、其を方國の求に應じ易きしむなんらん。
伏て請ふ、作家怪しむこと莫れ、是れ義璞なり。
明和八年歳舎辛卯八月二十八日
奥州遠孫朴衒不肖義璞謹識 印 印
【参考】
外に出版されている「宝慶記」三冊を下に貼付した。
「首書傍訓 寶慶記 完」笠間龍跳:編
明治11年8月15日 出版
「宝慶記」(岩波文庫)宇井伯寿:訳注
1938年10月15日 第1刷発行 岩波書店
「寶慶記 全 附寶慶記聞解」曹洞宗教学部:編集
昭和42年3月15日 曹洞宗宗務庁:発行
寶慶記について
この道元禅師と天童如浄禅師との問答対話集「寶慶記」は、その後書きにもある通り、道元禅師示寂後、遺弟懐弉禅師が遺品を整理している時、その遺書の中から発見され、それを建長5年12月10日に永平寺に於いて書写されたものである。
それまで、この「寶慶記」があること自体、法嗣懐弉禅師も知らなかったとみえ、道元禅師もこの書を他に見せるつもりはなく、如浄禅師との問答対話記録として保持していたものと考えられる。
その後、懐弉禅師の書写した「寶慶記」は寶慶寺寂円に伝わり、義雲師がこれを見読し後書きを残した。
この本が幾多の経過を経て、三河豊橋全久院に保存されている。
一方、懐弉師の法嗣、寒巖義伊師がこの「寶慶記」を書写し保持していた。
この本は廣福大智禅師に伝わり、さらに写筆され面山師に授けられた。
面山師はこの本を元に義雲本などと考讎し纏め、明和八年、義璞が刊行した。
明和本(面山本)「寶慶記」批判
宇井伯寿訳注「宝慶記」(岩波文庫)の後書(111頁)にはこの明和本(面山本)を批判して次のようある。
「明和本(面山本)になると全久本と異なる所無慮二百六十項のも及び、寶慶本と一致する所約六十項も見出さるるが、これ等は何處に於て起つたものであらうか。
大智師の手澤本に既にかくあつたものもあるのであらうか、或は又幾分は面山師がかくなしたものもあるのであらうか。
何れとも明かにすることを得ぬが、義雲和尚本と考儲してすら此の如くであるとすれば、その義雲和尚本は全久本とは相當に相異なつた所があつたであらうと想像する外はなからう。
ともかくこれ等の相互の相異の中には、文字の用法を統一する意思で改めたもののあること、和尚曰、和尚示曰等とある場合の曰を凡て云に統一し、堂頭とも堂上ともあるを堂頭に統一し、更に單に和尚とあるを堂頭を加へた如き、また文章上、則、之、而、也、時などを加へたり、それに反して、今、而、亦、叉、耶などを省いて文章を整へむとした如き、且つ不を末に、末を不に所以を是故に、是を此に、如を似に、坐禪を打坐に家風を宗風に今稱諸方を諸方今稱に、無常迅速生死事大を生死事大無常迅速生に改めた如き、明に意識的に添削的の變化を加えたものであると見えるものである。
此外に種々なる相異が二百六十項にも亙つて居て、その一々を茲に記すことは到底出来ない程である。
これ等が凡て果して所謂義雲和尚本に豫つて改めたものか、どうか頗る疑はしいと考へられる。(後述略))」