永平寺七十九世 福山諦法禅師
(世称)福山諦法
(ふくやま たいほう)
(道号・法諱)絶学諦法
(ぜつがく たいほう)
(禅師号)慈航玄徳禅師
(じこうげんとくぜんじ)
(生誕)昭和7年(1932)11月
(永平寺退董)
令和2年(2020)9月29日
(示寂)令和3年(2021)9月10日
永平寺七十九世 福山諦法禅師
昭和7年(1932)11月
東京都下に生まれる。
11歳で愛知県新城市鳳来に学童疎開。
昭和20年(1945)3月
妙厳寺専門僧堂に掛搭する。
昭和21年(1946)8月
妙厳寺住職福山忍裳(蜜鍼忍裳)老師に就いて得度する。
昭和23年(1948)3月
豊川中学校を卒業する。
昭和27年(1952)3月
豊川高校卒業し、妙厳寺専門僧堂を送行する。
昭和31年(1956)3月
駒沢大学仏教学部仏教学科を卒業する。
昭和33年(1958)3月
駒沢大学大学院人文科学研究学科仏教学専攻卒業。
6月、大本山永平寺に掛搭す。
10月、 妙厳寺住職福山忍裳老師の下で伝法す。
昭和34年(1959)8月
大本山永平寺を送行す。
昭和35年(1960)4月
妙厳寺専門僧堂の講師に任ぜらる。
昭和36年(1961)5月
豊川市久昌寺へ首先住職す。
昭和37年(1962)12月
豊川学園豊川高校評議員に任ぜらる。
昭和47年(1972)12月 40歳
豊川妙厳寺三十三世住職となる。
「満樹丹青随物換 平生富貴逐春来」
満樹の丹青物に隨て換り、平生の富貴春を逐て来る。
昭和48年(1973)1月
妙厳寺専門僧堂堂長に任ぜらる。
7月、豊川学園豊川高校理事に任ぜらる。
12月、東三河祖門会、同和会会長に任ぜらる。
昭和50年(1975)11月
曹洞宗宗議会議員に任ぜらる。
昭和52年(1977)3月
准師家に任ぜらる。
5月、大本山永平寺顧問に就任。
昭和53年(1978)5月
豊川学園豊川高校理事長に任ぜらる。
昭和60年(1985)9月
永平寺名古屋別院監院となる。
平成7年(1995)11月
曹洞宗宗務庁参議に任ぜらる。
平成8年(1996)4月
高祖大師七百五十回大遠忌推進委員に任ぜらる。
8月、師家に任ぜらる。
平成12年(2000)8月
大本山永平寺副貫首に就任。
平成20年(2008)1月5日
大本山永平寺七十九世貫首となる。
1月21日 曹洞宗管長就任。
2月16日 豊川妙厳寺、退院式。
2月18日 午前11時 大本山永平寺入山式。
3月3日 達磨大師像、大権修利菩薩像を仏殿に安坐点眼。
3月27日 法堂に瑠璃灯(宗議会有道会議員一同奉納)を設置す。
平成20年(2008)4月5日 午後1時より
大本山永平寺にて晋山開堂。
4月16日~21日 永平三世徹通禅師七百回御遠忌、厳修。
9月14日 吉祥閣前庭に徹通義介禅師の養母供養塔が造立され、点眼法要を厳修す。
平成22年(2010)11月22日~26日
中国寧波の天童寺で道元禅師得法霊蹟建立三十周年記念法要、杭州の浄慈寺で如淨塔の上屋「浄祖亭」の落慶法要が不老閣御親修で行われる。
平成23年(2011)1月30日~31日
この夜、一メートルの雪が降り、永平寺は豪雪により雪に埋まる。この冬の通算積雪量は五メートルに達す。
平成23年(2011)10月7日
大本山總持寺独住第二十四世(釧路定光寺六世重興)慈峰英鑑禅師 大鼎晃仙大和尚の本葬秉炬師を勤める。
平成27年(2015)4月4日
「高野山開創1200年記念大法会」
真言宗総本山金剛峯寺の招きに応じ、高野山にて開創記念慶讃法会を厳修する。
令和2年(2020)9月29日 大本山永平寺を退董す。
繼承重任不離身
來住虚心當處新
十二年趨臻體倦
謝辞列祖慨思陳
令和3年(2021)9月10日 遷化される。
遺偈
満九十稔 來往随縁 端的不盡 心地廓然
密葬荼毘式は永平寺にて9月17日午前10時より行われた。
本葬儀は12月16日 厳修。