正法眼蔵随聞記(続)

 

正法眼蔵随聞記 

 

正法眼藏随聞記よりの続き 正法眼藏随聞記(第四、第五、第六)

 



正法眼藏随聞記
正法眼藏随聞記

正法眼藏隨聞記第四 (長円寺本・第五)
   侍者 懷奘 編

 

【4-1】
 一日參學の次でに示して云く、學道の人は、自解を執することなかれ。設ひ會する所ろありとも、若し亦決定よからざる事もやあらん、亦是よりもよき義もやあらんと思ふて、廣く知識をも訪ひ、先人の言をも尋ぬべきなり。亦先人の言なりともかたく執する事なかれ。若し是もあしくもやあるらん、信ずるにつけてもと思て、次第にすぐれたる事あらば其れにつくべきなり。

 

【4-2】
 亦云く、南陽忠國師、問紫璘供奉甚處來奉云、城南來。師云、城南艸作何色。奉云、作黄色。師乃問童子、城南艸作何色。子云、作黄色。師云、祇這童子亦可簾前賜紫對御談玄。しかあれば童子も國皇の師として眞色を答ふべし。汝が見所常途に超へずとなり。後來有人の云く、供奉が常途に超へざる過、甚れの處にかある。童子も同く眞色を説く。是れこそ眞の知識たらめと云て、國師の義を用ひず。故に知ぬ、必しも古人の言ばを用ひず、只寔との道理を存ずべきなり。疑心はあしき事なれども、亦信ずまじきことをかたく執して、尋ぬべき義をも問はざるはあしきなり。

 

(南陽の忠國師、紫璘供奉に問ふ、甚イズレノ處よりか來る。奉云く、城南より來る。師云く、城南の艸、何色か作す。奉云く、黄色を作す。師乃ち童子に問ふ、城南の艸、何色を作す。子云く、黄色を作す。師云く、祇タダ這の童子も亦た簾前に紫を賜ひて御と對して玄を談ずべしと。)

 

【4-3】
 亦示して云く、學人の第一の用心は、先づ我見を離るべし。我見を離るヽと云ふは、此の身を執すべからず。設ひ古人の語話を究め、常坐鐵石の如くなりとも、此の身に著して離れずんば、萬劫千生にも佛祖の道を得べからず。いかに況や、權實の敎法、顯密の正敎を悟り得たりと云とも、身を執するこヽろを離れずんば、徒らに他の寶を數て、自ら半錢の分なし。只請ふらくは學人靜坐して、道理を以て此の身の始終を尋ぬべし。身體髮膚は父母の二滴、一息とヾまりぬれば山野に離散して終に泥土となる。何を持てか身と執せん。況や法を以て見れば、十八界の聚散、いづれの法をか決定して我が身とせん。敎内敎外別なりとも、我が身の始終不可得なることを行道の用心とすること、是れ同じヽ。先づ此の道理に達すれば寔の佛道顯然なるものなり。

 

【4-4】
 一日示して云く、古人云く、親近善者如霧露中行難不濕衣時時有潤。謂ふ心は、善人になるれば覺ゑざるに善人となるなり。昔し倶胝(グテイ)和尚に仕へし一人の童子のごときは、いつ學しいつ修したりとも見へず覺へざれども、久參に近づいたる故に悟道す。坐禪も自然に久くせば、忽然として大事を發明して、坐禪の正門なることを知るべきなり。

 

(善者に親近すれば、霧露の中に行くが如し、衣を濕さずと雖も時時に潤ひ有り。)

 

【4-5】
 嘉禎二年臘月除夜、始て懷奘を興聖寺の首座に請ず。即ち小參の次で、初て秉拂を首座に請ふ。是れ興聖寺最初の首座なり。小參の趣きは、宗門の佛法傳來の事を擧揚するなり。初祖西來して、少林に居して機をまち、時を期して面壁して坐せしに、某の歳の窮臘に神光來參しき。初祖最上乘の器なりと知て接得して、衣法共に相承傳來して、兒孫天下に流布し、正法今日に弘通す。當寺始て首座を請じ、今日初て秉拂を行なはしむ。衆の少きを憂ふること莫れ。身の初心なるを顧みることなかれ。汾陽は僅に六七人、藥山は十衆に滿たざるなり。然あれども皆佛祖の道を行じき。是を叢林のさかんなると云き、見ずや、竹の聲に道を悟り、桃の花に心を明らむ。竹豈に利鈍あり迷悟あらんや。花何ぞ淺深あり賢愚あらん。花は年年に開くれども人みな得悟するに非ず。竹は時時に響けども聞く者盡く證道するにあらず。たヾ久參修持の功により、辦道勤勞の縁を得て、悟道明心するなり。是れ竹の聲の獨り利なるにあらず。亦花の色の殊に深きにあらず。竹の響き妙なりと云へども自ら鳴らず、瓦らの縁をまちて聲を起こす。花の色ろ美なりと云へども獨り開くるにあらず、春風を得て開るなり。學道の縁もまたかくの如し。此の道は人人具足なれども、道を得る事は衆縁による。人人利なれども、道を行ずることは衆力を以てす。ゆゑに今ま心をひとつにし志をもつぱらにして、參究尋覓(ジンミヤク)すべし。玉は琢磨によりて器となる。人は練磨によりて仁となる。いづれの玉か初より光りある。誰人か初心より利なる。必ずすべからくこれ琢磨し練磨すべし。自ら卑下して學道をゆるくすることなかれ。古人の云く、光陰空くわたることなかれと。今問ふ、時光は惜むによりてとヾまるか。惜めどもとヾまらざるか。すべからくしるべし。時光は空くわたらず、人は空くわたることを。人も時光とおなじくいたづらに過すことなく、切に學道せよと云ふなり。かくのごとく參究を同心にすべし。我れ獨り擧揚するも容易にするにあらざれども、佛祖行道の儀、大概みなかくの如くなり。如來の開示に隨ひて得道するもの多けれども、亦阿難によりて悟道する人もありき。新首座非器なりと卑下することなかれ。洞山の麻三斤を擧揚して同衆に示すべしと云て、座を下て後ち再び鼓を鳴らして首座秉拂す。是れ興聖最初の秉拂なり。懷奘三十九の歳なり。

 

【4-6】
 一日示して云く、俗人の云く何人か好衣を望まざらん、誰人か重味を貪ぼらざらん。然あれども道を存ぜんと思ふ人は、山に入り雲に眠り寒むきをも忍び飢へをも忍ぶ。先人苦るしみなきに非ず、是れを忍びて道を守ればなり。後人是れを聽て道を慕ひ德を仰ぐなり。俗すら賢なるは猶をかくの如し。佛道豈に然らざらんや。古人もみな金骨にはあらず。在世もことごとく上器にはあらず。大小の律藏によりて諸の比丘をかんがふるに、不可思議の不當の心を起すもありき。然あれども後には皆得道し羅漢となれりと見へたり。しかあれば我れらも賎く拙なしと云ふとも、發心修行せば決定得道すべしと知て、即ち發心するなり。古へも皆な苦を忍び寒にたゑて、愁ひながら修行せしなり。今の學者苦るしく愁るとも只しひて學道すべきなり。

 

【4-7】

 示して云く、學道の人、悟を得ざることは、即ちたヾ舊見を存ずるゆへなり。本より誰がおしへたりとも知らざれども、心と云は念慮知覺なりと思ひ、心は草木なりと云へば信ぜず、佛と云へば相好光明あらんずると思ふて、佛は瓦礫(グワリヤク)と説けば耳を驚かす。かくのごときの執見、父も相傳せず、母も敎授せず、只無理自然に久く人のことばにつきて信じ來れることなり。然あれば今も佛祖決定の説なれば、あらためて心は艸木と云はば便、艸木を心と知り、佛は瓦礫といはヾ瓦礫を便ち佛なりと信じて、本執をあらため去らば、道を得べきなり。古人の云く、日月あきらかなれども浮雲是れをおほふ、叢蘭茂せんとすれども秋風吹て是れをやぶると。貞觀政要にこれを引て、賢王と惡臣とに喩ふ。今ま云く、浮雲おほふとも久しからず。秋風破ぶるとも亦開くべし。臣わるくとも王の賢強くんば轉ぜらるべからず。今ま佛道を存ぜんことも亦かくの如くなるべし。いかに惡心おこるとも、かたく守り久く保たば、浮雲もきえ秋風も止まるべきの道理なり。

 

【4-8】
 一日示して云く、學人初心のときは、道心ありても無ても、經論聖敎等を能々見るべし、まなぶべし。我れ始てまさに無常によりて聊か道心を發し、終に山門を辭して遍く諸方を訪ひ道を修せしに、建仁寺に寓せし中間、正師にあはず善友なき故に、迷て邪念を起しき。敎道の師も、先づ學問先達にひとしくしてよき人と成り、國家にしられ天下に名譽せん事を敎訓する故に、敎法等を學するにも、先づ此の國の上古の賢者にひとしからんことを思ひ、大師等にも同じからんと思ひき。因に高僧傳、續高僧傳等を披見して、大唐の高僧、佛法者の様子を見しに、今の師のおしへの如くにはあらず。亦我が起せるやうなる心は皆經論傳記等にはいとひにくみけりと思ひしより、やうやう道理をかんがふれば、名聞を思ふとも、當代下劣の人によしと思はれんよりも、只上古の賢者、向後の善人をはづべし。ひとしからんことを思ふとも、此國の人よりも、唐土天竺の先達高僧をはぢて、彼にひとしからんと思ふべし。乃至諸天冥衆諸佛菩薩等にひとしからんとこそ思ふべけれと。この道理を得て後には、此の國の大師等は土瓦の如くにおぼへて、從來の身心皆あらためき。佛の一期の行儀を見れば、王位をすてヽ山林に入り、成道の後も一期乞食すと見へたり。律に云く、知家非家捨家出家と云云。古人云く、奢て上賢にひとしからんと思ふことなかれ、賤ふして下賤にひとしからんと思ふことなかれと。云こヽろは、共に慢心なり。高ふしても下らんことを忘るヽことなかれ。安すふしても危からん事を忘るヽことなかれ。今日存ずるとも明日もと思ふことなかれ。死の至てちかくあやふきこと脚下にあり。

 

【4-9】
 示して云く、愚癡なり人は其の詮なきことを思ひ云ふなり。此こにつかはるヽ老尼公ありけるが當時、いやしげにして在るをはづる顏にて、ともすれば人に向ては、昔しは上臘にてありしよしを語る。たとひ而今の人にさもありと思はれたりとも、なんの用とも覺へぬ。甚だ無用なりとおぼゆるなり。皆人の思はくは此の心あるかと覺ゆるなり。道心の無きほども知られたり。是れらの心を改ためて少し人には似るべきなり。亦有る入道の究て無道心なるあり。去て難き知音にてある故に、道心おこらんこと佛神に祈誓せよと云はんと思ふ。定て彼れ腹立して中をたがふことあらん。然あれども道心を發さヾらんには得意にてもたがひに詮なかるべし。

 

【4-10】
 示して云く、古へに三たび復(カヘ)さふして後に云へと。云ふ心は、凡そものを云はんとする時も、事を行ぜんとする時も、必ずみたび復さふして後に言行すべしとなり。先儒のおもはくは、三度び思ひかへりみるに、三度びながら善ならば云ひ行なへと云ふなり。宋土の賢人等の心ろは。三度び復さふずと云は、幾度も復せと謂ふ心なり。言(コト)ばよりさきに思ひ、行よりさきに思ひ、思ふたびごとにかならず善ならば言行すべきとなり。衲子も亦必ず然かあるべし。我が思ふことも言ふことも、あしきことあるべき故に、まづ佛道に合(カナ)ふや否やとかへりみ、自他の爲に益ありやいなやと、能々思ひかへりみて後に、善なるべくんば行ひもし言ひもすべきなり。行者若しかくのごとく心を守らば、一期佛意に背かざるべし。予、昔年初て建仁寺に入りし時は、僧衆隨分に三業を守て、佛道の爲め利他にために惡きことをば、云はじせじと各各志ざせしなり。僧正の德の餘殘ありしほどは、かくの如くなりき。今時は其の儀なし。今の學者するべし。決定して自他の爲め。佛道の爲に詮あるべきことならば、身をわすれても言ひもしは行ひもすべきなり。其の詮なきことは言行すべからず。宿老耆年の言行する時は、末臘の人は言とばをまじゆべからず。是れ佛制なり。能々是れを思ふべし。身をわすれて道を思ふことは、俗なを此の心ろあり。
 むかし趙の藺相如(リンシヤウジヨ)と云ひし者は、下賤の人なりしかども、賢なるによりて趙王にめしつかはれて天下の事をおこなひき。趙王の使ひとして、趙璧と云玉を秦の國へつかはさしめたまふ。彼の璧を十五城にかへんと秦王の云し故に、相如にもたせてつかはすに、餘の臣下議して云く、是れぼどの寶を相如ごときの賤人に持たせてつかはすこと、國に人なきに似たり。餘臣にはぢなり。後代のそしりなるべし。みちにて此の相如を殺して璧を奪ひ取らんと議しけるを、ときの人ひそかに相如にかたりて、此のたびの使を辭して命を保つべしと云ひければ、相如云く、某がし敢て辭すべからず。相如王の使として璧を持て秦にむかふに、佞臣の爲に殺されたると後代に聞へんは、我ためによろこびなり。我が身は死すとも賢の名は殘るべしと云て、終にむかひぬ。餘臣も此の言ばを聽て、我れら此の人をうちうることあるべからずとて、とヾまりぬ。相如ついに秦王に見へて璧を秦王にあたふるに、秦王十五城をあたふまじき氣色見へたり。時に相如、はかりごとを以て秦王にかたりて云く、その璧にきずあり、我れ是れを示さんと云て、璧をこひ取て後に相如が云く、王の氣色を見るに十五城を惜める氣色あり、然あらば我が頭べを以て此の璧を銅柱にあてヽうちわりてんと云て、嗔れる眼を以て王を見て銅柱のもとによる氣色、まことに王をも犯しつべかりし。時に秦王の云く、汝ぢ璧をわることなかれ、十五城を與ふべし、あひはからはんほど汝ぢ璧を持べしと云しかば、相如ひそかに人をして璧を本國へかへしぬ。後に亦澠池と云ふ處にて趙王と秦王とあそびしに、趙王は琵琶の上手なり。秦王命じて彈ぜしむ。趙王相如にも云ひ合せずして即ち琵琶を彈じき。時に相如、趙王の秦王の命に隨へることを嗔(イカリ)て、我行て秦王に簫(セウ)を吹かしめんと云て、秦王につげて云く、王は簫の上手なり、趙王聞んことをねがふ、王吹たまふべしと云しかば、秦王是れを辭す。相如が云く、王若し辭せば王をうつべしと云ふ。時に秦の將軍、劍を以て近づきよる。相如これをにらむに兩目ほころびさけてげり。將軍恐て劍をぬかずして歸りしかば、秦王ついに簫を吹くと云へり。亦後に相如、大臣となりて天下の事を行ひし時に、かたはらの大臣、我れにまかさぬ事をそねみて相如をうたんと擬する時に、相如は處々ににげかくれ、わざと參内の時も參會せず、おぢおそれたる氣色なり。時に相如が家人いはく、かの大臣をうたんこと易きことなり、なんが故にかおぢかくれさせたまふと云ふ。相如が云く、我れ彼をおそるヽにあらず。我が眼を以て秦の將軍をも退け、秦の璧をも奪ひき。彼の大臣うつべきこと云ふにも足らず。然あれどもいくさを起しつは、ものを集むることは敵國を防ぐためなり。今ま左右の大臣として國を守るもの、若し二人なかをたがひて、いくさを起して一人死せば一方缺くべし。然あらば隣國喜びていくさを起すべし。かるがゆへに二人ともに全ふして國を守らんと思ふ故に、彼れといくさを起さずと云ふ。かの大臣、此のことばを聞てはぢて還て來り拜して、二人共に和して國をおさめしなり。相如身をわすれて道を存ずることかくの如し。
 今ま佛道を存ずることも彼の相如が心の如くなるべし。寧しろ道ありては死すとも道無ふしていくることなかれと云云

 

【4-11】
 示して云く、善惡と云ふこと定め難し。世間の人は綾羅錦繍(リヨウラキンシウ)をきたるをよしと云ふ。麁布糞掃衣をわるしと云ふ。佛法には此れをよしとし淸しとし、金銀錦綾をわるしとしけがれたりとす。かくの如く一切のことにわたりて皆然り。予が如きも聊か韻聲をとヽのへ文字をかきすぐるヽを俗人等は尋常ならぬことに云もあり。亦有人は、出家學道の身としてかくの如きのこと知れるとそしる人もあり。いづれをか定めて善として取り惡としてすつべきぞ。文(モン)に云く、ほめて白品の中にあるを善と云ふ、そしりて黑品の中におくを惡と云ふと。亦云く、苦を受くべきを惡と云ふ、樂をまねくべきを善と云ふと。かくの如く子細に分別して眞實の善を見て行じ、眞實の惡を見てすつべきなり。僧は淸淨の中より來れるものなれば、人の欲を起すまじきものを以てよしとし、きよきとするなり。

 

【4-12】
 示して云く、世間の人多分云く、學道のこヽろざしあれども世は末世なり、人は下劣なり、如法の修行にはたゆべからず、只隨分にやすきにつきて結縁を思ひ、他生に開悟を期すべしと。今ま云ふ、此の言は全く非なり。佛敎に正像末を立ること暫く一途の方便なり。在世の比丘必ずしも皆すぐれたるにあらず。不可思議に希有にあさましく下根なるもありき。故に佛け種々の戒法等をまふけ玉ふこと、皆わるき衆生下根の爲なり。人人皆な佛法の器なり。かならず非器なりと思ふことなかれ。依行せば必ず證を得べきなり。既に心あれば善惡を分別しつべし。手あり足あり合掌歩行にかけたる事あるべからず。しかあれば佛法を行ずるには器をえらぶべきにあらず。人界の生は皆な是れ器量なり。餘の畜生等の生にてはかなふべからず。學道の人只明日を期することなかれ。今日今時ばかり佛法に隨て行じゆくべきなり。

 

【4-13】

 示して云く、俗の云く、城を傾むくることは、中にさヽやき言(ゴ)と出來るに依るなりと。亦云く、家に兩言ある時は針をも買ふことなし、家に兩言なき時は金をも買ふあたひありと。俗猶を家をたもち城を守るに、同心ならざれば終にほろぶと云へり。況や出家人は、一師に學して水乳の和合せるが如くすべし。亦六和敬の法あり。各の各の寮々をかまへて身をへだてヽ心ろ心ろに學道の用心することなかれ。一船にのりて海をわたるが如し。同心に威儀を同ふし、たがひに非を改め、是に隨て同く學道すべきなり。是れ佛在世より行じ來れる儀式なり。

 

【4-14】
 示して云く、楊岐山の會(エ)禪師はじめ住持の時、寺院舊損して僧のわづらひありし時、知事申して云く、修理あるべしと。會の云く、堂閣破ぶれたりとも露地樹下にはまさるべし。一方破ぶれてもらば、一方のもらぬ處に居して坐禪すべし。堂宇造作によりて僧衆悟りを得べくんば、金玉を以てもつくるべし。悟は居所の善惡にはよらず、只坐禪の功の多少にあるべしと。翌日の上堂に云く、楊岐乍住屋壁疎、滿床盡布雪眞珠、縮却項暗嗟吁、良久云翻憶古人樹下居と。たヾ佛道のみにあらず、政道も亦かくの如し。唐の太宗はいやをつくらず。龍牙云く、學道先須且學貧、學貧貧後道方親と云ふ。昔し釋尊より今に至るまで、眞實學道の人たからにゆたかなりとは聞かず見ざるなり。


(楊岐たちまち住して屋壁、疎なり。滿床、盡く布く雪の眞珠。項を縮却して暗に嗟す。良久して云く、翻て憶ふ古人、樹下の居。)
(龍牙云く、學道は先づ須く且く貧を學すべし。貧を學て貧にして後に道、方に親し。)

 

【4-15】
 一日有る客僧問て云く、近代遁世の法は各の各の齋料等のことをかまへ用意して、後のわづらひなきやうに支度す。是れ小事なりと云へども學道の資縁なり。かけぬればことの違亂出來る。今師の御様を承り及ぶには、一切共の支度なく只天運にまかすと。若し實にかくのごとくならば後時の違亂あらんか、いかん。
 答て云く、事皆な先證あり。敢て私曲を存ずるにあらず。西天東地の佛祖、皆かくの如し。白毫一分の福の盡る期あるべからず。何ぞ私に活計をいたさん。亦明日の事はいかにすべしとも定め圖り難し。此の様は佛祖のみな行じ來れる所ろにて私なし。若し事と闕如して絶食せば、其の時にのぞんで方便をもめぐらさめ。兼て是を思ふべきことにはあらざるなり。

 

【4-16】
 示して云く、傳へ聞く實否は知らざれども、故持明院の中納言入道、あるとき祕藏の太刀を盜まれたりけるに、士(サムラ)ひの中に犯人ありけるを、餘の士ひ沙汰し出してまひらせたりしに、入道の云へらく、此れは我が太刀にあらず、ひがことなりとてかへされたり。決定(ケツヂヤウ)その太刀なれども、士ひの恥辱を思ふてかへされたりと、人皆な是を知りけれども、其の時は無爲にしてすぎけり。故に子孫も繁昌せり。俗なを心ろある人はかくの如し。いはんや出家人、必ずしも此の心あるべし。出家人はもとより身に財寶なければ、智慧功德を以てたからとす。他の無道心なるひがことなんどを、直に面てにあらはして非におとすべからず、方便を以て彼れの、はらたつまじき様に云ふべきなり。暴惡なるは其の法久しからずと云ふ。設ひ法を以て呵嘖するとも、あらき言葉なるは法も久しからざるなり。小人下器はいさヽかも人のあらき言ばに必ず即ちはらたち、恥辱を思ふなり。大人(ダイニン)上器には似るべからず。大人はしかあらず。設ひ打たるれども報を思はず。今我國には小人多し。つヽしまずんばあるべからざるなり。

 


正法眼藏隨聞記第五 (長円寺本・第六)
   侍者懷 奘編

 

【5-1】
 一日示して云く、佛法の爲には身命を惜むことなかれ。俗猶を道の爲には身命をすて、親族をかへりみず、忠を盡し節を守る。是を忠臣とも云ひ、賢者とも云ふなり。昔し漢の髙祖、隣國といくさを起す時、ある臣下の母、敵國にありき。官軍も二た心ろ有らんかと疑ひき。高祖もかれ若し母を思ひて敵國へさることもやあらんずらん、若しさあらば軍やぶるべしとてあやぶむ。爰に彼の母も、我が子もし我れによりて我が國へ來ることもやあらんかとおもひ、誡ていはく、われによりていくさの忠をゆるくすることなかれ、我れもしいきていたらば汝ぢ二た心ろもやあらんと云ひて、劍に身をなげてうせてげり。其の子本よりふた心ろなかりしかば、其のいくさに忠節を致す志し深かりけると云ふ。況や衲子の佛道を存ずるも、必しも二た心無き時、まことに佛道に契ふべし。佛道には慈悲智慧本よりそなはる人もあり。設ひ無きひとも學すれば得なり。只身心を倶に放下して、佛法の大海に廻向して、佛法の敎に任せて、私曲を存ずることなかれ。亦漢の高祖の時、ある賢臣の云く、政道の理亂はなは(縄)の結ぼふれるを解が如し。急にすべからず。能々むすびめを見てとくべしと。佛道も亦かくの如し。能々道理を心得て行ずべきなり。法門を能く心ろふる人は、必ず強き道心ある人よく心得なり。いかに利智聡明なる人も、無道心にして吾我をも離れえず、名利をも棄えぬ人は、道者ともならず、正理をも心ろ得ぬなり。

 

【5-2】
 示して云く、學道の人は吾我の爲に佛法を學することなかれ。只佛法の爲に佛法を學すべきなり。其の故實は我が身心を一物ものこざず放下して、佛法の大海に廻向すべきなり。其の後は一切の是非管ずることなく、我が心を存ずることなく、なし難く忍び難きことなりとも、佛法の爲につかはれて、しひて此れをなすべし。我が心に強てなしたきことなりとも、佛法の道理なるべからざる事は放捨すべきなり。穴な賢こ。佛道修行の功を以てかはりに善果を得んと思ふことなかれ。只一度佛道に廻向しつる上は再び自己をかへりみず、佛法のおきてに任せて行じゆひて、私曲を存ずることなかれ。先證皆かくの如し。心にねがひ求ることなければ即ち大安樂なり。世間の人も、他にまじはらず己れが家ばかりにて生長したる人は、心のまヽにふるまひ己が心を先として、人目をしらず、人の心を兼ざる人は、必ずしもあしきなり。學道の用心も亦かくのごとし。衆にまじはり師に順じて我見を立せず、心をあらためゆけば、たやすく道者となるなり。學道は先すべからく貧を學すべし。名をすて利をすて、一切諂らふことなく、萬事なげすつれば、必ずよき道人となるなり。大宋國によき僧と人にも知られたる人は、皆貧窮人なり。衣服もやぶれ諸縁も乏しきなり。往日天童山の書記、道如(ダウニヨ)上座と云し人は、官人宰相の子なり。しかれども親族をも遠離し世利を貪らざりしかば、衣服のやつれ破壞したること目もあてられざりしかども、道德人に知られて名巒大寺の書記とも成られしなり。予あるとき如上座に問て云く、和尚は官人の子息にて富貴の種族なり、何ぞ身にちかづくる物皆下品にして貧窮なるや。如上座答て云く、僧となればなり。

 

【5-3】
 一日示して云く、俗人の云く、寶はよく身を害する怨(アタ)なり、昔も是れあり、今も是れ有りと。云ふこヽろは、昔し一人の俗人あり。一人の美女をもてり。時に威勢ある人是を請ふ。彼の夫是を惜む。終に兵を起して其家を圍めり。既に奪ひ取れんとする時、夫が云く、我れ汝が爲に命を失ふと。女が云く、我れも夫の爲に命を失はんと云て、高樓より落て死す。そののち彼の夫うちもらされて、後に物語りにせしとなり。亦云く、昔し一人の賢人、州吏として國政を行ふ。時に息男あり。官事によりて父を辭し、拜して去る。時に父一疋の縑(キヌ)を與ふ。息の云く、君は高亮なり、此の縑いづくよりか得たるや。父云く、俸祿のあまりなりと。息さりて皇帝に奉りまいらせてその由を奏す。帝太だ其の賢なることを感じたまふ。息男申さく、父は名をかくす、我れは名を顯はす、眞に父の賢勝れたりと。此の心は一疋の縑は是れ少分なれども、賢人は私用せざること聞へたり。亦寔の賢人は名をかくす。俸祿なれば使用するよしを云ふなり。俗人猶を然り。況や學道の衲子、私を存ずることなかれ。亦廷の道を好まば道者の名をかくすべきなり。亦云、仙人ありき。或人問て云く、如何がして仙を得ん。仙人の云く、仙を得んと思はヾ仙道を好むべしと。然れば學人も佛祖の道を得んと思はヾ、須く佛祖の道を好むべし。

 

【5-4】
 示して云く、昔し國王あり。國を治て後ちに諸の臣下に問ふ。我好く國を治む、よく賢なりやと。諸臣みな云く、帝甚だよく治む、太だ賢なりと。時に一臣ありて云く、帝は賢ならずと。帝の云く、故は如何。臣が云く、國を治て後ち、帝の弟に與へずして息に與ふと。帝の心にかなはずしてをひ立られて後、亦一臣に問、朕よく仁なりや。臣が云く、甚だ仁なり。帝の云く、其の故いかん。臣が云く、仁君には必ず忠臣あり。忠臣は直言あるなり。前きの臣太だ直言なり。是れ忠臣なり。仁君にあらずんば得じと。帝是を感じて即ち前きの臣をめしかへさるヽなり。亦云く、秦の始皇のとき、太子の花園をひろめんとの玉ふ。臣の云く、最もよし、花園ひろふして鳥獸多く集りたらば、鳥獸を以て隣國の軍を防ぐべしやと。是に依て其の事止まりぬ。亦宮殿を作り柱を漆にぬらんと言ふ。臣の云く、最も然るべし柱をぬりたらんには敵とヾまらんかと。然あれば其の事も止りぬ。儒敎の心はかくのごとく、たくみに言を以て惡事をとヾめ、善事すヽめしなり。衲子の人を化する意巧も其の心有べきなり。

 

【5-5】
 一日僧問て云く、智者の無道心なると無智の有道心なると、始終いかん。
 答て云く、無智の有道心は終に退すること多し。智慧ある人は無道心なれども終には道心を起すなり。當世も現證是れ多し。然あれば先づ道心の有無を云はず、學道を勤むべきなり。道を學せば只だ貧なるべし。内外の書籍を見るに、貧ふして居所もなく、或は治浪の水に浮び、或は首陽の山にかくれ、或は樹下露地に端坐し、或は塚間深山に卓菴する人もあり。亦富貴にして財多く、朱漆をぬり金玉をみがきて宮殿等を造るもあり。倶に典籍にのせたり。然といへども、後代をすヽむるには皆貧にして財なきを以て本とす。訕りて罪業を誡むるには、富て財多きを驕奢の者と云て誹れるなり。

 

【5-6】
 示して云く、出家人は必ず人の施を受て喜ぶことなかれ。亦受ざることなかれ。故僧正の云く、人の供養を得て喜ぶは佛制にたがふ。喜ばざるは檀越の心にたがふ。此の故實用心は、我に供養ずるに非ず、三寶に供養ずるなり。かるがゆへに彼の返事には、此の供養は三寶定て納受有るべしと言ふべきなり。

 

【5-7】
 示して云く、古へに謂ゆる君子の力は牛に勝れり。然あれども牛とあらそはずと。今の學人、我が智慧才學人に勝れたりと存ずるとも、人と諍論を好むことなかれ。亦惡口を以て人を呵嘖し、怒目を以て人を見ることなかれ。今時の人、多く財をあたへ恩を施せども、嗔恚を現じ惡口を以て謗言する故に、必ず逆心を起すなり。昔眞淨文和尚、衆に示して云く、我むかし雲峰とちぎりをむすんで學道せしとき、雲峰同學と法門を論じ、衆寮にてたがひに高聲に論談し、つゐには互に惡口に及び誼譁しき。諍論已にやんで雲峰我れに謂て云く、我と汝と同心同學なり、契約淺からず、何が故ぞ我れ人とあらそふに口入をせざるやと。我れそのとき揖して恐惶せるのみなり。其の後彼も一方の善知識たり、我れも今住持たり。往日おもへらく、雲峰の論談、畢竟無用なり。況や諍論は定りて僻事なり。諍ひて何の用ぞと思ひしかば、我は無言にして止りぬと云云。今の學人も最もこれを思ふべし。學道勤勞の志しあらば、時光を惜て學道すべし。何の暇まありてか人と諍論すべき。畢竟じて自他共に無益なり。法門すらしかなり。何かに況や世間の事において無益の論をなさんや。君子の力ら牛にも勝れりといへども、牛と諍そはず、我れ法を知れり、彼に勝れたりと思ふとも、論じて人を掠め難ずべからず。若し眞實の學道の人ありて法を問はヾ、法を惜むべからず。爲に開示すべし。然あれども猶それも三度問はれて一度答ふべし。多言閑語することなかれ。我れも此の眞淨の語を見しより後、尤も此咎は我身にもあり、是れ我をいさめらるヽと思ひし故に、以後終に他と法門の諍論せざるなり。

 

【5-8】
 示して云く、古人多くは云ふ、光陰空く度ること莫れ。亦云く、時光徒らに過すことなかれと。今學道の人須く寸陰を惜むべし。露命消やすし、時光速かにうつる、暫くも存ずる間だ、餘事を管ずることなかれ。唯須く道を學すべし。今時の人、或は父母の恩を捨て難しと云ひ、或は主君の命に背き難しと云ひ、或は妻子眷屬に離れ難しと云ひ、或は眷屬等の活命存じ難しと云ひ、或は世人誹謗しつべしと云ひ、或は貧ふして道具調ひ難しと云ひ、或は非器にして學道に堪がたしと云ふ。かくのごとく識情を廻らして、主君父母をも離れえず、妻子眷屬をもすてえず、世情に隨ひ財寶を貪ぼるほどに、一生空く過して、正しく命終の時に當ては後悔すべし。須く靜坐して道理を案じ、速かに道心を起さんことを決定すべし。主君父母も我に悟りを與ふべからず。妻子眷屬も我が苦みを救ふべからず。財寶も我が生死輪廻を截斷すべからず。世人も我をたすくべきにあらず。非器なりと云て修せずんば、何れの劫にか得道せんや。只須く萬事を放下して一向に學道すべし。後時を存ずることなかれ。

 

【5-9】
 示して云く、學道は須く吾我を離るべし。設ひ千經萬論を學し得たりとも、我執を離れずんば終に魔坑に落べし。古人の云く、若し佛法の身心なくんば、いづくんぞ佛となり祖と成らんと云云。我を離るヽと云は、我が身心を佛法の大海に抛向して、苦しく愁ふるとも佛法に隨て修行するなり。若し乞食をせば人是をわるし、みにくしと思はんずるなれど、かくのごとく思ふ間だはいかにしても佛法に入得ざるなり。世の情見をすべて忘れて、唯道理に任せて學道すべし。我身の器量を顧み、佛法に契ふまじなんど思ふも、我執を持たる故なり。人目を顧み人情を憚(ハバ)かるは、即ち我執の本なり。只佛法を學すべし。世情に隨ふことなかれ。

 

【5-10】
 一日奘問て云く、叢林勤學の行履と云は如何。
 示して云く、只管打坐なり。或は樓上、或は閣下に定を營み、人に交はりて雜談せず、聾者の如く瘂者の如くにして、常に獨坐を好むべきなり。

 

【5-11】
 一日參の次に示して云く、泉大道の云く、風に向て坐し日に向て眠る。時の人の錦を被たるに勝りたりと云云。是の言は古人の語なりといへども、少し疑ひあり。時の人と云は世間貪利の人を云か。若し然らば敵對最の下れり。何ぞ云に足らん。若しは學道の人を云か。然らば何ぞ錦を被たるに勝れりと云ふや。此の心を察するに、猶を錦を重もんずる心有かと聞へり。聖人は然あらず。金玉と瓦礫と、齊く執することなし。故に釋迦如來、牧牛女が乳粥を得て食し、馬麥(カラムギ)を得て食す。いづれも等くす。法に輕重なし、人に淺深あり。當世金玉を人に與ふれば、重しとして取らず。亦木石などをば輕として是を受て愛す。金玉本とより土の中より得たり。木石も大地より生ぜり。何ぞ一つをば重しとて取らず、一つをば輕しとて愛せん。此の心を案ずるに、重きを得ては執する心あらんか。輕きを得ても愛する心あらば咎は等しかるべし。是れ學人の用心すべき事なり。

 

【5-12】
 示して云く、先師全和尚、入宋せんとせし時、本師叡山の明融阿闍梨重病起り、病床にしづみ既に死せんとす。其の時かの師云く、我既に老病起り死去せんこと近きにあり、今度暫く入宋をとヾまりたまひて、我が老病を扶けて、冥路を弔ひて、然して死去の後其の本意をとげらるべしと。時に先師、弟子法類等を集めて議評して云く、我れ幼少の時雙親の家を出て後より、此の師の養育を蒙ていま成長せり。其の養育の恩最も重し。亦出世の法門大小權實の敎文、因果をわきまへ是非をしりて、同輩にもこえ名譽を得たること、亦佛法の道理を知て、今入宋求法の志しを起すまでも、偏に此の師の恩に非ずと云ことなし。然るに今年すでに老極して、重病の床に臥たまへり。餘命存じがたし。再會期すべきにあらず。故にあながちに是を留めたまふ。師の命もそむき難し、今ま身命を顧みず入宋求法するも、菩薩の大悲利生の爲なり。師の命を背て宋土に行ん道理有りや否や。各の思はるヽ處をのべらるべしと。時に諸弟人人皆云く、今年の入宋は留まらるべし。師の老病死已に極れり。死去決定せり。今年ばかり留りて明年入宋あらば、師の命を背かず重恩をもわすれず、今ま一年半年入宋遲きとても何んの妨げかあらん。師弟の本意相違せず。入宋の本意も如意なるべしと。時に我れ末臘にて云く、佛法の悟り今はさてかふこそありなんと思召さるヽ儀ならば、御留り然あるべしと。先師の云く、然あるなり、佛法修行これほどにてありなん。始終かくにごとくならば、即ち出離得道たらんかと存ずと。我が云く、其の儀ならば御留りたまひてしかあるべしと。時にかくのごとく各の總評し了て、先師の云く、おのおのヽ評議、いづれもみな留まるべき道理ばかりなり。我れが所存は然あらず。今度留りたりとも、決定死ぬべき人ならば、其に依て命を保つべきにもあらず。亦われ留りて看病外護せしによりたりとて苦痛もやむべからず。亦最後に我あつかひすヽめしによりて、生死を離れらるべき道理にもあらず。只一旦命に隨て師の心を慰むるばかりなり。是れ即ち出離得道の爲には一切無用なり。錯て我が求法の志しをさえしめられば、罪業の因縁とも成ぬべし。然あるに若し入宋求法の志しをとげて、一分の悟りをも開きたらば、一人有漏の迷情に背くとも、多人得道の因縁と成りぬべし。此の功德もしすぐれば、すなはちこれ師の恩をも報じつべし。設ひ亦渡海の間に死して本意をとげずとも、求法の志しを以て死せば、生生の願つきるべからず。玄奘三藏のあとを思ふべし。一人の爲にうしなひやすき時を空く過さんこと、佛意に合なふべからず。故に今度の入宋一向に思切り畢りぬと云て、終に入宋せられき。先師にとりて眞實の道心と存ぜしこと、是らの道理なり。然あれば今の學人も、或は父母の爲、或は師匠の爲とて、無益の事を行じて徒らに時を失ひて、諸道にすぐれたる佛道をさしをきて、空く光陰を過すことなかれ
 時に奘問て云く、眞實求法の爲には有爲の父母師匠の恩愛の障縁を一向にすつべき道理は、まことに然かあるべし。たヾし、父母師匠の恩愛等のかたは一向に捨離すとも、亦菩薩の行を存ぜん時は、自利をさしをきて利他を先とすべきか。然あるに老師重病切にして、亦他人のたすくべきもなく、幸に保護の我れ一人、其の仁に當りたるを、自らの修行ばかりを思ひて渠を扶けずんば、菩薩の行に背けるに似たるか。たヾ大土の善行をきらふべからず。縁に隨ひ事に觸れて佛法を存ずべきか。もしこれらの道理によらば、亦止りてたすくべきか。何ぞ獨り求法を思ひて老病の師を扶けざるや、いかん。
 示して云く、利他の行も、自利の行も、たヾ劣なる方を捨てヽ勝なる方をとらば、大土の善行なるべし。老病を扶けんとて水菽(スイシユク)の孝をいたすは、只今生暫時の妄愛迷情の喜びばかりなり。迷情の有爲に背いて無爲の道を學せんは、設ひ遺恨は蒙ることありとも、出世の勝縁と成べし。是を思へ、是を思へ。

 

【5-13】
 一日示して云く、世間の人多く云ふ、某し師の言ばを聞けども我が心に叶はずと。此の言は非なり。知らず其のこヽろいかん。若しは聖敎等の道理の我が心に違背して非なりと思か。これは一向の凡愚なり。亦は師の云へる言が我が心に契はざるか。若し然あらばなんぞはじめより師に問ふや。亦日來の情見を以て云か。もししかあらば是れは無始よりこのかたの妄念なり。學道の用心と云ふは、我が心にたがへども師の言ば聖敎の言理ならば全く其に隨て、本の我見をすてヽあらためゆくべし。此の心が學道第一の故實なり。われ昔日、我が朋輩の中に我見を執して知識をとぶらひける者ありき。我が心に違するをば心得ずと云て、我見にあひかなふをば執して、一生空くすぎて佛法を會せざりけり。我れそれを見て智發してしりぬ、學道は然あるべからずと。かく思ひて師の言ばに隨て、全く道理を得て、其後看經の次でに、或る經に云く、佛法を學せんと思はヾ三世の心を相續することなかれと。誠に知ぬ、さきの諸念舊見を記持せずして、次第にあらためゆくべきなりと云ことを。書に云く、忠言逆耳、いふこヽろは我爲に忠有べきことばは必ず耳に違するなり。違するとも強ひて隨ひ行ぜば畢竟じて益有べきなり。

 

【5-14】
 一日雜談の次でに示して云く、人の心本より善惡なし。善惡は縁に隨て起る。喩へば人發心して山林に入る時は、林下はよし人間は惡しとおぼゆ。亦退屈の心にて山林を出る時は、山林は惡しとおぼゆ。是れ即ち決定して心に定相なし。縁に隨て兎も角もなるなり。かるが故に善縁にあへば心よくなり、惡縁に近づけば心惡くなるなり。我が心本より惡しと思ふことなかれ。只善縁に隨ふべきなり。

 

【5-15】
 亦云く、人の心は決定人の言ばに隨ふと存ず。大論に云く、喩へば愚人の手に摩尼珠をもてるが如し。人是を見て、汝下劣なり、自ら手に物をもてり、と云を聞ておもはく、珠はおしヽ、名聞は深し、我は下劣ならんとおもふ。思ひ煩ふて、猶を只名聞にひかれ、人の言ばについて珠を捨て、他人にとらしめんと思ふほどに、終に珠を失ふと云云。人の心はかくのごとし。一定此の言ば我爲によしと思へども、名聞にさへられてそれに順はざるもあり。亦一定我爲にあしき事と思ひながらも、名聞の爲なれば先づ隨ふ人もあり。惡にも善にも隨ふときは、心は善惡につるヽなり。故にいかにもとより惡き心なりとも、善知識に隨ひ良人に馴るれば、自然に心もよくなるなり。惡人に近づけば、我心にも初は惡しと思へども、終にその人のこヽろに隨ひ、馴るほどにおぼへず、やがて實に惡く成なり。亦人の心ろ決定して他に物をとらせじと思へども、他人強てこひぬれば、にくしとおもひいやながらも與ふるなり。亦決定して與へんと思へども、便宜なく時すぎぬれば、亦やむ事も有なり。然あれば學人たとひ道心なくとも、良人に近づき善縁にあふて、同じ事をいくたびも聞見るべきなり。この言ば一度聞たらば重て聞べからずと思ふことなかれ。道心一度起したる人も、同じ事なれども聞たびごとに心みがヽれて、いよいよ精進するなり。亦無道心の人も、一度二度こそつれなくとも、度度聞ぬれば、霧露の中に行が如く、いつぬるヽとも覺へざれども、自然に衣のうるほふが如くに、良人の言ばをいくたびも聞けば、自然にはづる心も起り、實の道心も起るなり。故に知たる上にも聖敎をばいくたびも見るべし。師の言ばも聞たる上にも重て聞べし。いよいよふかき心有べきなり。學道の爲にさはりと成べき事をば重て是に近づくべからず。善友にはくるしくわびしくとも近づきて行道すべきなり。

 

【5-16】
 示して云く、大慧禪師、ある時尻に腫物出ぬれば、醫師此を見て大事の物なりと云ふ。慧の云く、大事の物ならば死ぬべきや否や。醫師云く、ほとんどあやふかるべし。慧の云く、若し死ぬべくんば彌よ坐禪すべしと云て、猶を強て坐しければ、其の腫物うみつぶれて別の事なかりき。古人の心かくのごとし。病をうけては彌よ坐禪せしなり。今の人病なふして坐禪ゆるくすべからず。病は心に隨て轉ずるかと覺ゆ。世間にしやくりする人に、虚言してわびつべき事を云つげぬれば、それをわびしつべき事に思ひ、心に入て陳ぜんとするほどに、忘れて其のしやくり留りぬ。我もそのかみ入宋の時、船中にて痢病せしに、惡風出來て船中さはぎける時、やまふ忘れて止りぬ。是を以て思ふに學道勤勞して他事を忘るれば、病も起るなじきかと覺るなり。

 

【5-17】
 示して云く、俗の野諺(ヤゲン)に云く、唖せず聾せざれば家公とならずと。云こヽろは、人の毀謗をきかず人の不可をいはざれば、よく我が事を成ずるなり。かくのごとくなる人を家の大人とするなりと。是れ野諺なりといへども、是を取て衲僧の行履に用ゆべし。他のそしりにとりあはず、他の恨みにとりあはず、他の是非をいはずして、如何んが道を行ぜん。徹骨徹髓の者は是を得べきなり。

 

【5-18】
 示して云く、大慧禪師の云く學道は須く人の千萬貫の錢を債(オ)ひけるが、一文をも持たざるに、乞責らるヽ時の心の如くすべし。若しこの心あれば、道を得ることやすしといへり。信心銘に云く、至道かたきことなし、唯だ揀擇(ケンジヤク)を嫌ふと。揀擇の心だに放下しぬれば、直下に承當するなり。揀擇の心を放下すると云は、我をはなるヽなり。佛道を行じて代りに利益を得ん爲に、佛法を學すと思ふことなかれ。只佛法の爲に佛法を修行すべきなり。縱ひ千經萬論を學し得て、坐禪の床を坐破するとも、此の心なくんば佛祖の道を得べからず。只すべからく身心を放下して、佛法の中に置て、他に隨ひて舊見なければ、即ち直下に承當するなり。

 

【5-19】
 示して云く、古人の云く、所有の庫司の財穀をば、因を知り果を知る知事に分付して、司を分ち局を列ねて是を司さどらしむと。いふこヽろは、主人は寺院の大小の事、都て管ぜず、只管工夫打坐して大衆を勸むべきゆへなり。亦云く、良田萬頃よりも薄藝身に隨んにはしかず、施恩は報をのぞまず、人に與へて悔る事なかれ。口を守ること鼻の如くすれば、萬禍も及ばずと云り。行高ければ人自ら重んじ、才多ければ人自ら歸伏するなり。深く耕して淺くうゆる、猶を天災あり。己を利して人を損ずる、豈に果報なからんや。學道の人話頭を見る時、目を近づけ力を盡して能々見るべし。

 

【5-20】
 示して云く、古人の云く、百尺の竿頭にさらに一歩をすヽむべしと。此の心は、十丈の竿のさきにのぼりて、なを手足をはなちて、すなはち身心を放下するが如くすべし。是に付て重々の事あり。今時の人は世をのがれ家を出ぬるに似たれども、其の行履をかんがふれば、なを實とに出家の遁世にてはなきなり。いはゆる出家と云ふは、第一まづ吾我名利を離るべきなり。是を離れずんば行道は頭燃を拂ひ、精進は翹足(ゲウソク)をしるとも、只無理の勤苦のみにて出離にはあらざるなり。大宋國にも、離れ難き恩愛を離れ、捨て難き世財を捨て、叢林にまじはり祖席をふる人あれども、審細に此の故實を知らずして行ずる故に、道をも悟らず心をも明めずして、徒らに一期を空く過すもあり。その故は、人の心も初めは道心を起して、僧にもなり知識にも隨へども、佛となり祖とならん事をば思はずして、身の貴く我が寺の貴ときよしを、施主檀那にも知られ、親類眷屬にもいひきかせて、人にたふとびられ供養ぜられんと思ひ、剩(アマツサ)へ衆僧は皆な無當不善なれども、我れ獨り道心もあり、善人なる由を方便して云ひきかせ、思ひしらせんとする樣もあり。是れ等は云ふに足ざるもの、五闡提(ゴセンダイ)等の惡比丘のごとし。決定地獄に落る心ばへなり。これをものもしらぬ一向の在家人は、道心者貴き人なりと思へり。此れを少したちいでヽ施主檀那をも貪らず、父母妻子をも捨てはてヽ、叢林に交りて行道するもあれども、本性懶墮懈怠(ランダケダイ)なる者は、ありのまヽに懈怠する事も慙かしければ、長老首座等の見る時は相かまへて行道するよしをなして、見ざる時は事に觸れて怠り徒らにおくるもあり。是は在家にしてさのみ無當ならんよりはよけれども、猶を吾我名利を捨得ざるなり。亦總じて師の心もかねず首座兄弟の見るをも見ざるをも顧みず、常に思はく、佛道は人の爲ならず身の爲なりとて、我身心こそ佛となり祖とはならんと、眞實に勤め營む人もあり。是は以前の人人よりはまことの道者かと覺れども、これも猶を我が身よくならんと思ひて修する故に、なをいまだ吾我を離れず、亦諸佛菩薩に隨喜せられんことを思ひ、佛果苦提を成ぜんことを思ふも、我欲名利の心なをすて得ざる故なり。此等まではいまだ百尺の竿頭を離れず、とりつきたるが如し。只身心を佛法になげすてヽ、更に悟道得法までをも望む事なく修行するを以て、是を不汚染の行人とは云なり。有佛の處にもとヾまることをえず、無佛の處をも急に走過すと云ふは、此の心ろなり。

 

【5-21】
 示して云く、衣食の事は兼てより思ひあてがふことなかれ。若し失食絶烟せば、其の時に臨で乞食せん。その人に用事いはんなど思ひ設けたるも、即ち物を貯る邪命食にて有なり。衲子は雲の如く定れる住所もなく、水の如くに流れゆきて、よる處もなきをこそ僧とは云ふなり。縱ひ衣鉢の外に一物も持たずとも、一人の檀那をも賴み一類の親族をも賴むは、即ち自他ともに縛住せられて不淨食にてあるなり。かくのごとくの不淨食等を以てやしなひもちたる身心にて、諸佛淸淨の大法を悟らんと思ふとも、とても契ふまじきなり。たとへば藍にそめたる物は靑く、檗(キハダ)にそめたる物は黄なるが如く、邪命食を以てそめたる身心は即ち邪命身なるべし。此の身心を以て佛法をのぞまば、沙を壓して油を求るが如し。只時にのぞみて兎も角も道理に契ふやうにはからふべきなり。かねてとかく思ひたくはふるは、皆たがふことなり。能々思量すべきなり。

 

【5-22】
 示して云く、學人各知るべし、人人大なる非あり、憍奢(ケウシヤ)是れ第一の非なり。内外の典籍に是を等しく戒めたり。外典に云く、貧ふして諂(ヘツ)らはざるはあれども、富で奢らざるはなしといひて、なを富を制して奢らざらん事を思ふなり。最もこれ大事なり。よくよくこれを思ふべし。我が身下賤にして高貴の人におとらじと思ひ、人に勝れんと思ふは、憍慢のはなはだしきものなり。しかあれど是は戒めやすし。亦世間に自體財寶に豊かに福分もある人は、眷屬も圍遶し人もゆるす。それを是とし憍るゆへに、傍らの賤き人はこれを見てうらやみいたむべし。人のいたみを自體富貴の人、いかやうにかつヽしむべきや。かくの如き人は戒めがたく、その身も愼むことならざるなり。亦心に憍心はなけれども、ありのまヽにふるまへば、傍らの賤き人はうらやみいたむべきなり。是をよくつヽしむを憍奢をつヽしむとは云ふなり。我身の富は果報にまかせて、貧賤の人見てうらやむをはヾからざるを、憍心と云なり。外典に云く、貧家の前を車に乘て過ることなかれと。しかあれば我が身朱車にのるべくとも、貧人のまへをばはヾかるべしと云云。内典も亦かくの如し。然あるに今の學人僧侶は、智慧法門を以て人に勝べきと思ふなり。必ずしも此を以て憍ることなかれ。我より劣れる人のうへの非義を云ひ、或は先人傍輩等の非義をしりていひ誹謗するは、是れ憍奢のはなはだしきなり。古人の云く、智者の邊にしてはまくるとも、愚者の邊にして勝べからずと云云。我れがよく知たる事を人の惡く心得たりとも、他の非を云ふは亦是れ我れが非なり。法門をいふとも先人先輩を誹らず、亦愚癡曚昧なる人のうらやみねたみつべきところにては、能々是を思惟すべし。予も建仁寺に寓せし時、人多く法門等を問ひき。その中には非義も過患も有しかども、此の儀をふかく存じて只ありのまヽに法の德を語りて、他の非をいはず無爲にしてやみにき。愚者の執見ふかきは、我が先德の非を云とて、かならず嗔恚を起すなり。智慧ある人の眞實なるは、佛法の道理をだにもこヽろへぬれば、人はいはざれども、我が非、及び我が先德の非をも、思ひしりてあらたむるなり。かくのごとき等の事よくよく思ひしるべし。

 

【5-23】
 示して云く學道の最要は坐禪これ第一なり。大宋の人多く得道することみな坐禪のちからなり。一問不通にて無才愚癡の人も、坐禪をもはらすればその禪定の功によりて、多年の久學聡明の人にも勝るヽなり。しかあれば學人は祇管打坐して、他を管ずることなかれ。佛祖の道は只坐禪なり。他事に順ずべからず。
 ときに奘問て云く、打坐と看讀と、ならべて此を學するに、語録公案等を見るには、百千に一つも聊か心得ることも出來るなり。坐禪にはそれほどのことの驗しもなし。然かあれども猶を坐禪を好むべきか。
 答て云く、公案話頭を見て聊か知覺有る様なりとも、それは佛祖の道にとをざかる因縁なり。無所得無所悟にて端坐して時を移さば、即祖道なるべし。古人も看語祇管坐禪ともに勸めたれども、猶を坐をもはらにすヽめしなり。亦話頭に依てさとりをひらきたる人あれども、其れも坐の功に依りてさとりのひらくる因縁なり。まさしき功は坐によるべし。

 


正法眼藏隨聞記第六 (長円寺本・第一)

   侍者 懷奘 編

 

【6-1】

 示して云く、人を愧づべくんば明眼の人を愧づべし。予在宋の時、天童の淨和尚、侍者に請ずるにいはく、元子は外國人たりといへども器量人なりと云て請ず。予堅く此を辭す。其故は、和國に聞へん爲にも學道の稽古の爲にも大切なれども、衆中に具眼の人ありて、外國人として大叢林の侍者たらんこと、大國に人なきに似たりと難ずることやあらん、最もはぢつべしと思ひて、書状を以て此旨をのべしかば、淨和尚聞て、國を重んじ人を愧ることを感じ、許して更に請じ玉はざりしなり。

 

【6-2】

 示して云く、或る人の云く、我は病者なり、非器なり、學道にはたえず、法門の最要を聞て獨住隱居して身をやしなひ病をたすけて、一生を終へんと思ふと。これは太だ非なり。先聖必ずしも金骨にあらず。古人豈に咸く皆上器ならんや。滅後を思へばいくばくならず。在世を考るに人人みな俊なるにあらず。善人もあり惡人もあり。比丘衆の中に不可思議の惡行なるもあり、最下品の器量もあり。しかあれども卑下しやめりなんと稱して道心をおこさず、非器なりと云て學道せざるはなし。今生に若し學道修行せずんば、何れの生にか器量の人となり、無病の者と成て學道せんや。只身命を顧りみず發心修行するこそ、學道の最要なれ。

 

【6-3】

 示して云く、學道の人、衣食を貪ることなかれ。人人皆食分あり、命分あり、非分の食命を求るとも得べからず。況や學佛道の人にはおのづから施主の供養あり。常乞食たゆべからず。亦常住物もこれあり、私の營みにあらず。果蓏と乞食と信心施との三種の食は、皆な是れ淸淨食なり。其の餘の田商士工の四種の食は、皆不淨の邪命食なり。出家人の食分にあらず。昔し一人の僧あり、死して冥途に行く。閻王の云く、此の人は命分いまだつきず、かへすべしと。冥官云く、命分つきずといへども食分ずでに盡く。王の云く、荷葉を食せしむべしと。しかりしより、その僧よみがへりて後ち、人中の食物食することをえず、只荷葉のみを食して殘命を保てり。しかあれば出家は學佛のちからによりて食分も盡べからず。白毫の一相、二十年の遺因、歴劫に受用すとも盡べきにあらず。たヾ行道を專らにして衣食を求むべきにはあらざるなり。身體血肉だによくもてば、心も隨てよくなると醫方等にも見へたり。いはんや學道の人、持戒梵行して佛祖の行履に任て、身を治むれば、心も隨て調ふなり。學道の人、言ばを發せんとする時は、三度顧て自利利他の爲に、利あるべくんば是を云べし。利なからん言語は止まるべし。かくのごときの事も一度にはゑかたし。心にかけて漸々に習ふべきなり。

 

【6-4】

 雜話の次でに示して云く、學道の人衣食にわづらふことなかれ。此の國は邊地小國なりといへども、昔も今も顯密の二敎に名をゑ、後代にも人にも知られたる人おほし。或は詩歌管絃の家、文武學藝の才、其道を嗜む人もおほし。かくの如き人人未だ一人も衣食に豊かなりと云ことを聞かず。皆貧を忍び他事を忘れて、一向に其の道を好むゆへに、其の名をも得るなり。いはんや祖門學道の人は、渡世を捨てヽ一切名利に走らず、何としてか豊かなるべきぞ。大宋國の叢林には末代なりといへども、學道の人千萬人ある中に、或は遠方より來り、或は鄕土より出たるも有り。いづれも多分は貧なり。しかあれどもいまだ貧をうれへとせず。只悟道の未だしきことをのみ愁へて、或は樓上、或は閣下に坐して、考妣に喪するが如くにして、一向に佛道を修するなり。まのあたり見しことは、西川(セイセン)の僧、遠方より來れりし故に、所持の物なし。纔に墨二三丁もてり。そのあたひ兩三百文、此國の兩三十文にあたれるを持て、唐土の紙の下品なる極めて弱きを買ひとりて、襖ま或は袴などに作てきぬれば、起ち居に破るるおとして、あさましきをも顧みず、うれへざるなり。或る人の云く、汝鄕里にかへりて道具裝束とヽのへよと。答て云く、鄕里遠方なり、路次の間に光陰を空ふして、學道の時を失せんことを憂ふと云て、猶更に寒をも愁へずして學道せしなり。しかある故に大國にはよき人も出來るなり。

 

【6-5】

 示して云く、傳へ聞く、昔目雪峰山の開山の時は、寺貧窮にして、或は絶烟し、或は綠豆飯をむして食して、日を送て學道せしかども、後には一千五百人の僧、常に斷へざるなり。昔しの人はかくのごとし。今もまたかくのごとくなるべし。僧の損ずることは多く富貴より起るなり。如來在世、調達(デウダツ)が嫉妬を起せしことも、日に五百車の供養より起れり。唯自らを損ずるのみに非ず、亦他をして惡をなさしむる因縁なり。實の學道の人、何としてか富貴なるべき。たとひ淨信の供養も多くつもらば、恩の思ひを作して報を思ふべし。此の國の人は亦我が爲に利を思ひて施をいたす。笑ひて向へる者によく與るは、さだまれる世の道理なり。只他の心にしたがはんとしてなさば、これ學道の障りなるべし。只飢を忍び寒を忍で、一向に學道すべきなり。

 

【6-6】

 一日示して云く、古人の云く、聞くべし、見るべし、得るべし。亦云く、得ずんば見るべし、見すんば聞べしと。云ふ心は、聞んよりは見るべし、見んよりは得るべし、未だ得ずんば見るべし、未だ見ずんば聞べしとなり。

 

【6-7】

 亦云く、學道の用心は只本執を放下すべし。まづ身の威儀をさきとしてあらたむれば心も隨ふて改まるなり。先づ律儀戒行を守れば心も隨ふて改まるべし。宋土には、俗人等の常の習ひに、父母に孝養の爲に宗廟にて各各衆會し泣まねをするほどに、終には實に泣なり。學道の人も、初めより道心なくとも、只しひて佛道を好み學せば、終には實の道心も起るべきなり。初心學道の人は、只衆に隨ふて行道すべきなり。はやく用心故實等を學し知らんと思ふことなかれ。用心故實等のことも、只獨り山にも入り市にもかくれて行ぜん時、あやまりなく能く知たるは好きことなり。衆に隨ふて行ぜば道を得べきなり。たとへば船にのりて行には、我は漕ゆくやうをも知ざれども、よき船師に任せてゆけば知たるも知ざるも彼の岸に至るが如し。善知識に隨て衆と共に行じて私しなければ自然に道人となるなり。學道の人、たとひ悟りを得ても、今は至極と思ふて行道をやむることなかれ。道は無窮なり。悟りても猶行道すべし。むかし良遂座主の麻谷(マヨク)に參ずる因縁を思ふべし。

 

【6-8】

 示して云く、學道の人は後日をまちて行道せんと思ふことなかれ。たヾ今日今時をすごさずして日日時時を勤むべきなり。爰にある在家人、長病せしが、去年の春のころ予にあひちぎりて云く、當時の病ひ療治せば、必定妻子を捨て寺の邊に庵室をかまへむすんで、一月兩度の布薩にあひ、日日行道法門談義を見聞して、隨分に戒行を守りて生涯を送らんと云ひき。その後種々に療治せしに依て少き減氣あり。しかれども亦再發ありて日月空くすごしき。今年正月より俄に大事になりて、苦痛次第にせむるほどに、日來支度する庵室の道具をはこびて作るほどのひまもなき故に、先づ人の庵室をかりて住せしが、わづかに一兩月の中に死し去りぬ。前夜に菩薩戒をうけ三寶に歸して臨終よくして終りぬれば、在家にて妻子に恩愛を惜み狂亂して死せんよりは尋常ならねども、去年思ひよりたりし時に、在家を離て寺にちかづき、僧になれて行道しておはりたらば、すぐれたらましと存ずるにつけても、佛道修行は後日を待まじき事と覺るなり。身の病者なれば病ひを治して後より修行せんと思は無道心のいたす處なり。四大和合の身は誰か病無からん。古人必ずしも金骨にあらず。只志しだに至りぬれば他事を忘れて行ずるなり。大事身の上に來れば必ず小事を忘るヽ習ひなり。佛道は一大事なれば、一生に窮めんと思ひて日日時時を空くすごさじと思ふべきなり。古人の云く、光陰虚く度ることなかれと云云。病を治せんと營むほどに除かずして增氣し、苦痛いよいよせめば、少しも痛のかるかりし時に、行道せんと思ふべし。強き痛みを受ては、尚を重くならざるさきにと思ふべし。重く成ては死せざるさきにと思ふべきなり。病を治するには減ずるもあり增ずるもあり。亦治せざれども減じ、治するに增ずるもあり。これを能能思ひ分くべきなり。行道の人、居所等を支度し衣鉢等を調へて、後に行道せんと思ふことなかれ。貧窮の人、衣鉢資具にともしくして調ふを待ほどに、次第に臨終ちかづきよるはいかん。ゆへに居所を待ち衣鉢を調へて後に行道せんと欲せば、一生空く過すべきなり。只衣鉢等はなけれども、在家も佛道は行ずるぞかしと思ひて行ずべきなり。亦衣鉢等は只有べき僧體のかざりなればなり。實の佛道行者はそれにもよらず、より來らば有るに任すべし。あながちに求ることなかれ。有ぬべきを持じとも思ふべからず。病も治しつべきを、わざと死せんと思ひて治せざるも外道の見なり。佛道の爲には命を惜むことなかれ。亦借まざることなかれ。より來らば灸治一所煎藥一種なんど用ひん事は、行道の障りともならじ。行道をさしおきて、病を治するをさきとして後に修行せんと思ふは非なり。

 

【6-9】

 示して云く、海中に龍門と云處ありて、洪波しきりにたつなり。諸の魚ども彼の處を過ぬれば、必ず龍となるなり。故に龍門と云なり。いま思ふ、彼の處洪波も他所にことならず、水も同くしわはゆき水なり。然れども定まれる不思議にて、魚ども彼の處を渡れば必ず龍と成る。魚の鱗もあらたまらず、身も同じ身ながら、たちまちに龍となるなり。衲子の儀式も亦かくのごとし。處も他所にことならねども、叢林に入りぬれば必ずしも佛と成り祖となるなり。食も人と同く喫し、衣も同く服し、飢を除き寒を禦(フセ)ぐことも齊しけれども、只髮を剃り袈裟を着して食を齋粥にすれば、忽ちに衲子と成るなり。成佛作祖、遠く求むべきにあらず。只叢林に入と入ざるとは、彼の龍門を過ると過ざるとの別の如し。亦俗の云く、我れ金を賣れども人の買ふなしと。佛祖の道も亦かくのごとし。道を惜むにはあらず、常に與ふれども人の得ざるなり。道を得ることは根の利鈍にはよらず。人人皆法を悟るべきなり。精進と懈怠とによりて得道の遲速あり。進怠の不同は志しの至ると至らざるとなり。志しの至らざることは無常を思はざる故なり。念念に死去す。畢竟じて且くも留まらず、暫く存ぜる間だ、時光を空くすごすことなかれ。古語に云ふ、倉にすむ鼠み食に飢へ、田を耕す牛草に飽かずと。云心は、食の中にありながら食にうえ、草の中に住しながら草に乏し。人もかくのごとし。佛道の中に有りながら道にかなはざるものなり。名利希求の心止まざれば、一生安樂ならざるなり。

 

【6-10】

 示して云く、道者の行は善行惡行につき皆おもはくあり。凡人の量る所にあらず。昔し慧心僧都、一日庭前に草を食ふ鹿を、人をして打ち追はしむ。時に或る人問て云く、師慈悲なきに似り、草を惜みて畜生を惱ますか。僧都の云く、しかあらず、吾れ若し是を打ち追はずんば此の鹿ついに人になれて、惡人に近づかん時は必ず殺されん。この故にうちおふなりと。これ鹿を打追は、慈悲なきに似たれども内心は慈悲の深き道理、かくのごとし。

 

【6-11】

 一日示して云く、人ありて法門を問ひ、或は修行の法要を問ことあらば、衲子はかならず實を以て是を答べし。若は他の非器を顧み、或は初心末學の人にて心得べからずとして、方便不實を以て答ふべからず。菩薩戒の心は、縱ひ小乘の器ありて、小乘の道を問ふとも、只大乘を以て答ふべきなり。如來一期の化儀も亦同じ。方便の權敎は實に無益なり。只最後の實敎のみ實に益あり。しかあれば他の得不得を論ぜず、只實を以て答ふべきなり。若し箇中の人を見ば、實德を以て是を見るべし。外相假德を以てこれを見るべからず。昔し孔子に、一人あり來て歸す。孔子問て云く、汝ぢ何を以てか來て我に歸するや。云く、君子參内の時此を見しに、顒々(ギヨウギヨウ)として威勢あり、故に歸す。ときに孔子弟子に命じて、乘物裝束金銀財物等を取出して此を與へて、汝は我に歸するにあらずと云てかへせり。亦云く、宇治の關白殿、ある時鼎殿に到て火を焚所を見玉へば、鼎殿是を見て云ふ、いかなる者ぞ案内なく御所の鼎殿へ入ると云て、追出されて後、關白殿先の惡き衣服等をぬぎかへて、顒々として裝束して出たまふ時、さきの鼎殿、はるかに見て恐れ入てにげにき。時に殿下、裝束を竿の先にかけ拜せられけり。人これを問ふ。答て云く、吾れ他人に貴びらるヽこと我が德にはあらず、只此の裝束ゆへなりと云へり。おろかなる者の人を貴ぶことかくのごとし。經敎の文字等を貴ぶことも亦かくのごとくなり。古人の云く、言とば天下に滿れども口過なく、行(オコナヒ)天下に遍けれども怨害なしと。是れ即ち云べき所を云ひ、行ふべき事を行ふ故なり。是れは至德要道の言行なり。世間の言行も私曲を以てはからひ行ふは、おそらくは過(トガ)のみあらん。衲子の言行は先證是れ定れり。私曲を存ずべからず。佛祖行じ來れる道なり。學道の人各各自ら己身を顧るべし。身を顧ると云は吾が此の身心いか様に持べきぞと顧るべし。然るに衲子はすでに是れ釋子なり。如來の風儀を慣ふべきなり。身口意の威儀は先佛行じ來れる作法あり。各各其の儀に隨ふべし。俗すら猶を服は法に應じ、言は行に隨ふべしと云へり。況や衲子は一切私を用ふべからず。

 

【6-12】

 示して云く、當世學道する人、多分法を聞く時、先づ能く領解する由を知られんと思ひ、答の言ばのよからん様を思ふほどに、聞くことばが耳を過すなり。總じて詮ずる處、道心なく吾我を存ずるゆへなり。只須く先づ吾我を忘れて、人の云はんことを能く聞得て、後に靜に案じて、難もあり不審もあらば追ても難じ、心得たらば重て師に呈すべし。當座に領ずる由を呈せんとするは法を能も聞得ざるなり。

 

【6-13】

 示して云く、唐の太宗の時、異國より千里の馬を獻ぜり。帝これを得て喜ばずして、自ら謂へらく、縱ひ我れ獨り千里の馬に乘て千里を行とも、隨ふ臣なくんば其の詮なきなりと。故に魏徴(ギチヨウ)を召して此を問ひ玉へば、徴云く、帝の心と同じと。依て彼の馬に金帛をおほせて返さしむ。世間の帝王だにも無用のものをば畜へたまはずしてかへせり。況や衲子は衣鉢の外は決定して無用なり。無用の物是を貯てなにヽかせん。俗すら猶を一道を專らに嗜むものは、田苑莊園等を持することを要とせず。只一切國土の人を百姓眷屬ともするなり。相法橋遺囑子息(相の法橋、子息に遺囑す)たヾすべからく當道をもつぱらはげますべしと云へり。況や佛子は萬事を捨て專ら一事を嗜むべし。是れ第一の用心なり。

 

【6-14】

 示して云く、學道の人、參師聞法の時に、能々極めて聞き重て聞て決定すべし。問ふべきを問はず、云ふべきを云ずして過じなば、必ず我れが損なるべし。師は必ず弟子の問を待て、言を發するなり。心得たることをも、いくたびも問て決定すべきなり。師も弟子に好く心得たるかと問て、云ひきかすべきなり。

 

【6-15】

 示して云く、道者の用心は常の人に異ることあり。故建仁寺の僧正在世の時に、寺中絶食することありき。時に一人の檀那、僧正を請じて絹一疋を施す。僧正歡喜して人にももたしめず、自ら取て懷中して寺に歸て、知事に與へて云く、明旦の淨粥等に作すべしと。然るに有る俗人の所より所望して云く、愧がましき事有て絹二三疋入用あり、少々にてもあらば給はるべき由を申す。僧正即ちさきつかたの絹を取返して、すなはちこれを與ふ。時に知事の僧も衆僧も思の外に不審するなり。後に僧正云く、各は僻事とこそ思はるらん。然れども吾が思はくは、衆僧は面々佛道の志し有て集れり。一日絶食して餓死するとも苦しかるべからず。世に交れる人のさしあたりて、事缺る苦惱を扶けたらんは、各の爲にも利益すぐれたるべしと云へり。まことに道者の案じ入たることかくの如し。

 

【6-16】

 示して云く、佛々祖々、皆な本は凡夫なり。凡夫の時は必しも惡業もあり、惡心もあり、鈍もあり、癡もあり。然あれども盡く改めて知識に隨て修行せしゆへに、皆佛祖と成しなり。今の人も然あるべし。我が身愚鈍なればとて卑下することなかれ。今生に發心せずんば何の時を待てか行道すべきや。今強て修せば必ずしも道を得べきなり。

 

【6-17】

 示して云く、帝道の故實の諺に云く、虚襟に非ざれば忠言をいれずと。云心は己見を存ぜずして、忠臣の言ばに隨て道理にまかせて帝道を行はるヽなり。衲子の學道の用心故實も亦かくのごとくなるべし。わずかも己見を存ぜば、師の言ば耳に入ざるなり。師の言ば耳に入ざれば、師の法を得ざるなり。只法門の異見を忘るヽのみにあらず、世事及び飢寒等を忘れて、一向に身心を淸めて聞く時、親く聞得るなり。かくのごとく聞く時は、道理も不審も明らめらるヽなり。眞實の得道と云は、從來の身心を放下して、只直下に他に隨ひゆけば、即まことの道人となるなり。是れ第一の故實なり。

 

正法眼藏随聞記 了

 



跋語

 

 先師永平奘和尚、學地に在りし日、學道の至要聞くに隨つて記録す。所以に隨聞と謂ふ。雲門室中の玄記、永平の寶慶記の如し。今六册を録集して卷を調べて、假字正法眼藏拾遺分の内に入る。六册倶に嘉禎年中の記録なり。

 (康暦二年五月初三日、寶慶寺浴主寮に於て書す焉。)

 

 此の記は永祖、奘祖に訓ずる所の眞語實語にして遠孫、常に帶て甘熟す宜くの法味なり。但し册大にして衣嚢に盛り難く、故に細字に製して、行脚の衲子に便りす。冀ふ所は酬祖師法乳の涓滴に酬いん者なり。

 明和己丑仲秋廿八日

   遠孫方面山謹記

 

 

 豊後州大分郡大龍山永慶禪寺は、實に孤雲奘祖開創する所なり。初め奘祖、高祖に永平に侍する時、其の天童所受の釋迦瑞像を賚ふことを得る。因て、夢徴を感じ、宇を逖西に胥て、越より豐に徂き、乃て神助に斯に遇て勝概を得、伽藍を構造して、瑞像を安置し、居ること七百餘日、事を竣へて反て永平に侍すること故(モト)の如し。其の詳、舊誌に有て、具悉すと云う。云、爾後、奕葉遞代住持し、自古在昔、蓋し叢社望刹を以て稱す焉。國初天正の凶賊に経て、輙ち兵火に罹り、一ひ掃蕩す。尋ついて有志慨忼して再ひ中興し輓近、加修希古の際に當て、選に似祖に膺て事を主とる。首として法を永福方和尚に傳へ、師資及び孫、三代相い繼て、嫡曽孫見住大津梁長老に至り、齊しく皆濟美任責す。永福和尚、此の祖訓に於て考校是正、一に皆、質實を得ること、序及ひ諸凡の言ふ所の如くにして、秘藏すること年有り。今年遂に出して流布に屬す。輙ち梁長老を諭して、事を幹せ俾しめ、版を永慶に藏して刊行するときは則ち淨信縁を贊て從曳して緒に就く。但し永慶、式微に屬するの久き。以て來胄を此の擧に光昭して、四方諒とせらること無き焉。因て將さに、和尚の緒言に文獻すること有んと欲し、僅に請すことを得て、溘焉として、化を戢む。長老、其の資斧を喪なふや。僧參甞て和尚の道顧を承け、繼述餘論の與かり聞くに及ふを以て、遽かに其の徒を价して、報するに縁由を以てして、代劉して其の後に識、參、乃ち舊誌譜牒を請て、讀むこと一過。巻を釋いて起敬して謂(ヲモヘラク)、尚いかな縁や。夫れ吾か祖宗傳東にして、而して後、本支百世、海内に蕃衍し、人境依正、辟(タトヘバ)則ち麟趾の繁き鵲巣の昌んなる基業埀統、誰そや居、一も奘祖に承け弗る者無して、而今永慶の棠蔭、諸れを永福の華冑に傳て、三世此(ココ)に住持相い繼き、乃ち加修希古の際に當て、此の擧を左右して、祖業を纂修する住持の底績、唯斯れを大なりと爲す。和尚其れ此れを以て命せり。恩に答し德に報する、何そ土木の拮据らんも云んや。斯の本の流布する、縁由を先聲して脛無して自ら至る。永慶の源委、置郵して命を傳ふるよりも速なるときは、吾れ尚、何をか言んや。祖訓の舊染を雪めたると、幹縁の歸處を得たると參。則ち兩ながら其の盛事に隨喜す。終いに匪分を以て解くことを得ず。舊誌を取裁して、需に應す乎爾。

 明和第六己丑冬日

  嗣祖遠孫 洲菴僧參謹識  印 印

 



「正法眼蔵随聞記」について

 

「正法眼蔵随聞記」は道元禅師の説示を、懐奘禅師が筆録したものであり、これはすべて嘉禎年間の三、四年間の記録である。

 

「正法眼蔵随聞記」はその書写により「慶安本」、「宝暦本」、「明和本(流布本)」、「長円寺本」等とがあり、明和本(流布本)は慶安本を基に面山が校訂を加え刊行したもので全六巻より構成されている。

又別に「大安寺本」が伝わっている。

 

「長円寺本」は昭和十七年に大久保道舟が愛知県長円寺に江戸初期の随聞記を発見し発表した。

「明和本(流布本)」と「長円寺本」は全六巻とも内容はほぼ同じだが「長円寺本」の一巻目が「明和本(流布本)」の六巻目となっていて、「明和本(流布本)」の一巻目が「長円寺本」の二巻目で、その他は一巻づつずれている。

 

水野弥穂子訳「正法眼蔵随聞記」は長円寺本を基に書かれているが、その他の「正法眼蔵随聞記」は「流布本(面山本)」を参照し書かれたものが多い。

 

今まで数多くの「正法眼蔵随聞記」が出版されているが、その代表的な書籍を下に掲載した。

 

正法眼藏隨聞記・永平寺藏版
正法眼藏隨聞記・永平寺藏版
正法眼蔵随聞記・和辻哲郎 校訂
正法眼蔵随聞記・和辻哲郎 校訂
正法眼藏隨聞記・圭室諦成 校註
正法眼藏隨聞記・圭室諦成 校註
校註 正法眼藏隨聞記・大久保道舟 註
校註 正法眼藏隨聞記・大久保道舟 註
校註 正法眼藏隨聞記・立花俊道 著
校註 正法眼藏隨聞記・立花俊道 著
正法眼藏随聞記 附現代語譯・古田紹欽譯註
正法眼藏随聞記 附現代語譯・古田紹欽譯註
正法眼蔵随聞記・水野弥穂子 訳
正法眼蔵随聞記・水野弥穂子 訳